孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「生活保護」を受給して 隣に「輩」「チンピラ」が住んでいて 「高度な医療」を受けられずに死んでいく 未来の私 それでも「人間としての矜持」を持っていられるだろうか?

10月から、「生活保護」の基準が変わるという。たとえ変わっても、「生活保護受給者」の暮らしが改善されることはないだろう。憲法の条文などに書かれている「高尚な言葉」を読むと、首をかしげたくなる。生活保護を受給して、「人間として誇り」を持って日々の暮らしを送ることなど不可能ではないだろうか。「生活保護受給者」に対する世間の差別と偏見は、根強く残っている。「行政」などは、「水際作戦」をして、何とか「生活保護の申請」を断念させるように仕向ける。何年か前に、どこかの自治体で、「生活保護」を受給してもらえなくて、餓死するという痛ましい事件があった。また最近では、小田原市生活保護担当の職員が「保護なめんなよ」とローマ字で記載されたジャンパーを着用して仕事をしていたことが問題になった。おそらく、どこの地方自治体においても、生活保護を担当する部署の人間は、相談に来る人間を「人間のくず」とでも考えているのではないだろうか。私のような「社会生活不適王者」は、将来は「生活保護」を受給することになるだろう。その時の生活を考えると、私は上手く適応して暮らしていく自信がない。まず、「住居」の面。「生活保護」を受給して、「良い条件の家」に住めるはずがない。テレビドラマに良く出てくる「ボロ長屋」あるいは、「安普請のアパート」だろう。私は、重度の「不眠症」である。隣に「輩」「ゴロツキ」が住んでいると、腹が立って眠れないだろう。大学時代、「昔の下宿」に住んだが、やはり「トラブった」経験がある。また、「医療を受ける」ことができるが、高度な医療は到底望めない。まして、難病を患ったら大変である。「生活保護」を受給する者は、それほどの悪い環境でも我慢しろという「自己責任論」が根底にあると私は考えている。また、「生活保護の不正受給」をする人間が多いという「誤った認識」が世間に共有されている。一部の「暴力団員」のすることでしかない。将来、「生活保護」を受給するようになった時、私は「人間としての矜持」を持って生きていく自信がない。