孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「生身の暴力」に晒された時 あるいは「孤立無援」の状態に追い込まれた時 「蹴りを入れる」ような反撃ができるかが私の人生の課題だ 口で偉そうな事を言っていてもやはり「ビビってしまう」 それをどのように「乗り越えるか」が不安で仕方がない

私の人生の課題は、「生身の暴力」の晒された時に、後ずさりせずに、何らかの「アクション」を取れるかである。というのは、私の人生を振り返ってみると、何故かしら、誰もが「経験しない恐ろしいアクシデント」に度々巻きこまれてきた。一番ショックであった出来事を書くと、このブログに書き切れない分量で、「1冊の本」になるぐらいだ。私が嫌いなのは、普段「大言壮語して、自分は度胸があって、強い」と周囲に吹聴している手合いだ。こういう人間に限って、「いざという時」に臆病風に吹かれて、とんだ醜態を晒してしまう。逆に、普段「おとなしく、気の弱いと馬鹿にされている人間」が極限状態になった時に本領を発揮することもある。かつて、「噂の真相」と言う雑誌があった。2004年に廃刊したが、今の週刊文春の「文春砲」の比ではないぐらいに勢いがあり、愛読者も数多かった。その編集長の岡留安則氏は、幾度も「危険な目」に遭遇しているが、乗り越えておられる。作家の亀和田武氏は、岡留安則を「マスコミ界のセメント王者」と称している。「セメント」とは、「プロレス」の用語である。「真剣勝負が強い」と言う意味。岡留安則氏は、「右翼」から襲撃された際に、「アリキック」をかましたという逸話がある。一方、副編集長であった川端幹人氏は、「右翼」にびびってしまったという。川端幹人氏は、「右翼の暴力にびびった」ことを恥じている。仕方のない事だと私は思う。世の中の大半の人間は、川端幹人氏のように「右翼の暴力」に屈してしまう。岡留安則氏のように、「アリキック」をかます度胸の持ち主はほとんどいないだろう。「ややこしい人間」と関わりあいになることを避けるのが、賢い生き方であろう。しかし、「人間としての尊厳」を傷つけられた時に、逃げてはならないこともあると私は考える。その時に、誰かと群れずに、「たった一人」で対峙できるかによって「その人間の真価」が問われるものだ。負けて、ずたぼろになっても、立ち向かっていったことは、「己の人生の勲章」になり得るだろう。私は、いざという時に「生身の暴力」に対峙できるか常に不安で仕方がない。