孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「ホームレス」「おっぱいパブの看板持ち」「福島の除染作業員」まで人生の「最底辺」を経験して 作家になった赤松利市さん 新作「下級国民A」は現代社会を如実に表現している 

ラジオ深夜便で、赤松利市さんの「インタビュー」を聞いて、壮絶な人生を語る様に真実味があって印象に残った。「最底辺の人生」を送ったことを売りにする作家が多い。そういう人は、自分が作家として売れるために、「話しを盛っている」ことが多い。しかし、赤松利市さんの話し方には、「説得力」と「リアリティー」があって、実際に体験したのだと直ぐに分かった。赤松利市さんは、大学卒業後、大手消費者金融に入社する。しかし、「燃え尽き症候群」で会社を辞めて、父親のつてで、「ゴルフ場のコース管理の仕事」をし始める。その仕事が儲かるので、自ら「起業」をした。バブルの恩恵もあって、赤松利市さんは、巨万の富を得る。しかし、娘は、「メンタル」を病んでいた。そして「東日本大震災」が起きて、赤松利市さんはすべてを失うことになる。「福島の除染作業員」や「おっぱいパブの看板持ち」など種々の職業を体験する。赤松利市さんは、淡々と語り、「自分の人生が理不尽であること」を怒るのではなく、むしろ「楽しんでいる」ところがある。おそらく、こうした「自分の不幸」を「ネタ」にしていく「発想の転換」とやはり「反骨精神」が作家として赤松利市さんを成功させたのだと私は思う。最近の若手小説家がくだらないのは、「頭の中に小難しい概念」をこねくり回してしているだけだからだ。自分の体験に基づいて書いていない。「借り物の言葉」でしかなく、そんなものが「文学」であろうはずがない。「文学」は、もっと「人間の業」にまで肉薄するべきものであって、誰もが明日から「小説家」になれほどの「世界」ではないのだ。芸能人が、片手間に書いて、「芥川賞」を受賞してから、「自分も小説を書いてみよう」と野望を抱く芸能人が増加した。何故か、読者の方も、そんな「安っぽい小説」を好むようになった。どうやら、「暗くて重いテーマの小説」が一般受けしない時代になったのだろう。新作「下級国民A」で赤松利市さんは、「上級国民があるのなら、その対語は、下級国民だろう。確かに末端土木作業員や除染作業員に従事するしかなかった私は下級国民だった。しかし今の日本で、それは特別な存在なのだろうか。どこにでもいる存在ののではないだろうか」と。現代社会の病巣を如実に表現したものだ。「人生の辛酸を嘗めた」赤松利市さんの言葉には重みがある。