孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「反社」とは何も暴力団あるいはその周辺者だけではない 「権力」に逆らう「非合法の活動家たち」 「安保法制」に反対した「SEALDs」などは子供のお遊び 何故「過激派」が生まれなくなったのか?

「反社」という言葉が安易に使用されているような気がしてならない。吉本興業の芸人たちが、「闇営業」をした頃からこの「反社」がまるで流行語のようになった。主に暴力団あるいはその周辺者を「反社」と呼ぶのだろう。しかし、私は、「反社」というのは、社会で共有されているものと違うと思う。「反社会的」とは、もっと奥の深い存在で、「権力」に抵抗する「正義」を持っている集団あるいは個人である。最近、中核派の活動家が、イスラエル大使館前で抗議活動をして警視庁に公務執行妨害で逮捕された。この中核派は、「前進社」という。中核派は、全国各地に散らばっているだろう。以前、広島の方で、「中核派」で「指名手配中の男」が、県議会議員に援助されていたことがあった。「中核派」のみならず、「非合法の活動家」たちは、何らかの団体を隠れ蓑にして、平然と活動しているケースが多いのではないだろうか。かつて、「中核」「革マル」など様々な「セクト」がしのぎを削って争った。その中で、「共産党」の「民青」だけが、馬鹿にされていた。私は、どの「セクト」よりも「共産党」を支持する。戦前から「非合法」の活動を行ってきたのが、「共産党」だ。かつての「共産党」は、「警察組織」「自衛隊」にも紛れ込んでいた。そして「権力」を奪うことを目的とした。しかし現在の「共産党」には、そうした勢いすらない。誠に残念であるが。2015年に「SEALDs」とう安保法制に反対する学生集団があった。リーダーは、奥田愛基。私は、彼らを見た時に、「世も末」だと絶望した。あのような「ファッション」としての「政治活動」が、世間に受け入れられる時代になったのかと。警察に逮捕される覚悟もなくただ、安全圏から「もっともらしい正義」を声高々に主張する。SEALDsのメンバーで「安倍総理国葬」に反対するデモに参加した人間もいたが、一過性の「パフォーマンス集団」に過ぎなかった。奥田愛基の父親も有名な人間で、そもそも「権力」に対峙するという「確固たる意志」などなかった。私は期待するのは、日頃はひっそりと暮らしながら、「非合法の活動」をしている集団だ。ただ、彼らの「本気度」に期待するのみだ。