孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

高倉健 「不器用ですから」 八代亜紀の「舟歌」を聞きながらしんみり これほど「雪」が似合い男はいない! しかし「実物」は大違い 「ホモ疑惑」 「虚像」を作り上げてファンを魅了した ある意味で凄い!

高倉健主演の「冬の華」と言う映画を見た。この映画を私はもう10回くらい見た。「冬の華」は倉本聰が脚本を書いて、映画評論家から酷評された映画として有名である。監督は、降旗康男である。降旗康男監督は、高倉健の映画を数多く撮っている。特に1980年代に「駅 STAION」「居酒屋兆治」など高倉健の「プロモーション映画」以外の何物でもない映画をヒットさせている。「冬の華」を見た感想として、脚本に問題点が多いが、やはり「出演者の俳優の面構え」が凄く良いうえに、高倉健が「刑務所から出所して、昔気質やくざ渡世あるいは任侠道が廃れていて」戸惑い、苦悩する姿が描かれていて非常に見ごたえのある映画だということだ。こうした「プロット」は、その後の80年代のやくざ映画およびⅤシネマで延々と受け継がれていくことになる。しかし、1970年代の「東映やくざ映画」のような「重厚感」が全くない「薄っぺらいドラマ」に堕している。色々な原因があるが、やはり東映京都撮影所に「熱気」が無くなったことが最大の原因ではないかと私は思う。「冬の華」で高倉健は、「あしながおじさん」と言う役割を担っている。悲しい噓を付いて、昔殺したやくざの娘に刑務所から手紙を書き続ける。娘の方はその噓を信じている。「冬の華」では、娘役の池上季実子が物凄く輝いているのである。今は昔と言うが、今の池上季実子を見ると「時の残酷さ」を感じざるを得ない。親分を裏切った小池朝雄を殺すシーンがエンディングである。「刑務所」を出所しても、身の置き所がなく、「渡世の義理」を通して、再び人を殺めるという「パターン」はその後も多くの役者が演じているが、高倉健を超える役者はなかなか出てこない。「鬼火」という1996年の公開された映画で原田芳雄が演じた「やくざ」は、ある意味高倉健を超えたと私は考えている。「鬼火」についてはまた別の機会に論じたい。高倉健を見ていて、これほど「雪」の似合う役者もいないと痛感させられた。「網走番外地」もそうだけども、とにかく「極寒」「雪」が似合うのだ。八代亜紀が亡くなったが、「駅 STAION」で倍賞千恵子としんみり八代亜紀の「舟歌」を聞くシーンがある。これほど「絵」になる男は高倉健を置いて他にはいないだろう。しかし、高倉健の「実物」「私生活」は、役柄とは全く違った。一番有名なのは「ホモ疑惑」だ。これを否定する発言をする芸人が多い。しかし信憑性は高い。「虚像」を作り上げて、ファンを魅了した意味でやはり凄いスターではあったのだろう。