孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

伊藤詩織が権力者になっていることが逆に危険な風潮 逮捕状をもみ消した中村格元警察庁長官は許せざる人物 しかし報道したのが「警視庁」と蜜月であった「週刊新潮」というのが胡散臭い

伊藤詩織が杉田水脈にまた名誉棄損の裁判で勝訴した。伊藤詩織を誹謗した人間はことごとく裁判において敗訴している。私は「保守派」ではなく、左派であるが、伊藤詩織という人物がインチキのように思えてならないのだ。おそらく物事の本質あるいは、人間というものを「イデオロギー」という尺度なしに見た時に、伊藤詩織がまともな人間ではないと感じて当然ではないだろうか。TBSのワシントン支局長であった山口敬之にレイプされた。そして警視庁高輪署が山口敬之の逮捕状まで発付して、逮捕しようとしていた。しかし前警察庁長官中村格の圧力によって逮捕がもみ消された。一連の報道は誰もが知るところである。この事件を報道したのが、週刊新潮週刊新潮と言えば、朝日新聞をや共産党という左派が大嫌いなメディアである。ただ週刊新潮が評価できるのは一貫して創価学会を批判し続けている点だ。毎日新聞などは創価学会の広告を掲載して多大な利益を得ている。反権力を標榜する「日刊ゲンダイ」までもが創価学会の広告を掲載していた。伊藤詩織を批判する人たちは、決定的な証拠がない。そのために裁判で敗訴してしまう。「ハニートラップ」というのも確たる証拠がない限り、伊藤詩織を誹謗・中傷したと認定されてしまう。松本人志が伊藤詩織の事件に関しては的を射た発言をしたと評価されている。確かに、その通りだと私も思う。しかし松本人志の場合は間違いなく黒である。いまだ松本人志を擁護する人たちが多いが、一体どんな神経をしているのだろうか。伊藤詩織の事件を報道した週刊新潮はかつて警視庁と蜜月と言われていた。警視庁の内部情報をいち早く入手するルートがあるのだろう。そうしたメディア媒体が報道したネタをあまり評価する気にはなれない。伊藤詩織は、ジャーナリストを志していたという。モデルなどをしながら、ジャーナリストを目指すだろうか。その辺に伊藤詩織という人間の胡散臭さを感じてならない。伊藤詩織が書いた文章には「真実味」「真剣味」「誠実さ」全て欠いている。「火のない所に煙は立たぬ」というように、「胡散臭さ」があるから批判されるのであって、伊藤詩織が「絶対不可侵の権力者」になっていること危険だと私は思う。