孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

冤罪弁護士・今村核の挑戦

「雪ぐ人」新潮文庫が、出版された。元々NHKでドキュメンタリーした内容をNHK出版で書籍化されていた。この度、新潮社で文庫となったのは、非常に驚きである。新潮社の保守的な面と、この本の内容が、あまりにも、そぐわないからだ。有罪率99、9%という、絶望的な刑事司法と対峙する、今村核弁護士の人生に迫った秀逸なノンフィクションである。ドキュメンタリーを見た人間であれば、今村核という人間の魅力の虜になることは間違いないだろう。茫洋としていて、飾らない人柄。それでいて、仕事に賭ける情熱は、ただならないものがある。説明するまでもなく、日本の司法にあって、厄介な刑事弁護を引き受ける弁護士は、数少ない。それも世間を震撼させた、冤罪事件の弁護ならいざ知らず、痴漢など、軽微な事件ばかり。寿司店主が、現住建造物等放火罪と詐欺罪で、起訴された、放火事件。警察の激しい取り調べによって、被告人は、「自分が、放火した」と自白してしまう。通常の弁護活動であれば、自白と、客観的証拠の齟齬を言及する手法を取るだろう。しかし、今村核は、証明の科学化にこだわり続ける。被告人が、「二階に火をつけた」という証言を、突き崩すために、自らも模型を作って、再現実験を繰り返す。火災の専門学者も、この執念につき動させれ、最終的に、無罪を勝ち取る。また、痴漢事件では、バスの中の車載カメラの画像を、300回近く分析する。痴漢をした手の動きを、秒単位で、追っていく。被告人が、痴漢行為があったとされる、時間帯に、携帯電話を持っていたことが、判明する。そこで、通信会社に、メール送信履歴が、残っていることから、痴漢行為の不可能性を証明していく。その緻密な無罪の立証方法は、まさに神業に近い。本書では、今村核の私生活にまで、肉薄している。東京大学を卒業して、一流企業の重役だった父。そして、上品で、天真爛漫な母親。戦中派の厳格な父とのすれ違い。青年時代の心の葛藤など、様々な体験が、今日の今村核という人間を形成したことは、言うまでもない。東京大学のボランテイアサークルの活動にのめりこむ。体調を崩して、働けなくなった、「グラッェ」という仇名の40代も男性が、生活保護を受給できるように、奔走する。そのために、1年間司法試験を見送るエピソードは、いかにも今村核らしい。本書の中で一番印象に残った言葉は、「逆に私は、勾留された被告人の心情なんかは、他の弁護士よりも、どちらかというと良く分かるんですよ。それ、なんで分かるのかと言ったら、自分が、孤独だったからですよ。」「だから、単に可哀想な人とかね、そんな風に思わない。やっぱり、自分の性格もかなり誤解されやすくて、それによって苦しんだことも随分ありましたし。孤独だった中学、高校時代とかが、被告人の孤独とも重なってくるんですよね」。この言葉に、今村核の冤罪事件への思いが、集約されている。

 

 

中島らも・心が雨漏りする日には

マルチな才能を持ちながらも、2004年に不慮の事故で亡くなった作家中島らも。その著作の中で、一番を選べと言われたら、「心が雨漏りする日には」青春文庫と即答するだろう。この本は、数ある著作の中で最も、中島らもの全てが、凝縮されているからだ。薬物依存、躁うつ病アルコール依存症など、自らの精神的な病をこれほど赤裸々に語った作品は、見あたらない。闘病記というものは、独善的で、ナルシスティックなものに陥りがちである。特に、精神的な不調を克服したものは、いかに自分が、苦しく、それを克服したかという点が、強調されていて、読者には、少々きつい。中島らもは、自らの苦悩を相対的に語り、笑いに変えていく。その手法は、私たち凡人では、足元にも及ばない。流石、プロの作家さんであり、天才であることを痛感させられる。本書の中で、最も印象に残った箇所は、初めて精神科を体験する描写である。診察室でブルブル震えている若い女性や、どういう事情なのか「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」と息の荒い老人を見る。町の中には病んでる人はいない。病院という位相の中にのみ、病人は隔離され存在している。そこに生まれる一種の連帯感のようなものに居心地の良さが感じられるのだ。関西人ならではの笑いと、中島らもの鋭い洞察力が光る文章だと思う。最近は、心の病気についての情報を得やすくなった。また、多くの精神科医が、専門用語を使わずに、平易な言葉で解説した本を出版している。玉石混交で、自分に相応しい本になかなか遭遇できない。精神科医は、専門的知識を持っていながら、「こころを病むことの本質」を理解していない。生物学的精神医学に傾斜しすぎて、人のこころを蔑ろにする精神科医ばかりになった。街にメンタルクリニックが、乱立して、精神科の敷居が、低くなったが、3分診療で、患者の話を全く聞かない。その結果、患者は、ドクターショッピングをせざる負えない。いったい、医学部教育で何を教えられているのだろうか。作家や芸術家の中には、明らかに、精神疾患を疑わせる人たちが存在する。パトグラフィーという学問が、いまだに関心を持たれている。創造と狂気は、切っても切り話せない関係にあるからだ。中島らもは、その一群に入るぐらいの不世出な作家であることは間違いないだろう。

 

 

雑誌・噂の真相と岡留安則さん

かつて、噂の真相という雑誌があった。芸能人のスキャンダルから、政財界、皇室、様々なタブーに切り込むスタンスを貫いた。まさに、反権力と呼ぶに相応しいだろう。リアルタイムで、この雑誌を楽しむことが、出来なかったのは、とても残念である。編集長の岡留安則氏の、ポリシーが、素晴らしい。氏が、心掛けたのは「ヒューマン・インタレスト」。だからこそ、芸能人のくだらないゴシップネタと政治家のスキャンダルを同じ俎上に上げることを厭わなかったのだろう。昨今の週刊紙の凋落が、はなはだしい。「文春砲」と支持されている、「週刊文春」も、それ程に、過激なものではない。朝日新聞の論調に近づき過ぎているように思えてならない。「週刊新潮」は、相変わらず、嫌みな週刊誌である。「週刊現代」「週刊ポスト」は、老後の生活の情報だけのものになった。残念なのは「アサヒ芸能」「週刊大衆」「週刊実話」が、暴力団の勢力図を宣伝するのみで、読むべき所が、全くない。昔は、「アサヒ芸能」などは、それなりに面白かったゆえに残念である。「噂の真相」のような過激な雑誌を人々は、好まなくなってきている。昨今の小室圭さんの一連の報道なんか、主婦の井戸端会議ぐらい、レベルが低い。岡留安則さんは、2000年に右翼から襲撃されて、重傷を負っている。それ以前にも「皇室ポルノ事件」で、右翼、民族派団体から抗議を受けている。「噂の真相」は、皇室タブーに挑んできた歴史がある。右翼の襲撃の時には、岡留安則さんは、アリキックで、反撃したエピソードは、あまりにも有名だ。小室圭さんのことなど知って、いったい何の意味があるのだろうか。右翼も呆れ果て、抗議もしないに違いない。右翼であれ左翼であれ、真剣に天皇制について論じた時代は、もはや過去のものになった。ネットで、様々な情報を得られ時代であるが、ネタ元が定かでなく、断片的で、社会全体に与えるインパクトが弱いような気がする。週刊誌編集長は、本来危険な仕事である。ある個人のプライバシーについて容赦なく書くのだから、訴訟にまで発展することを、覚悟しなければいけない。いまどきの編集長は、あまりにも弱腰である。岡留安則さんのような、喧嘩好きで、勝負に強い逸材は、もう現れないのではないだろうか。

 

紀州のドンファン野崎幸助・何故和歌山県警を称賛するのか?

和歌山県田辺市で、2018年、「紀州ドンファン」と呼ばれた野崎幸助さんに、多量の覚醒剤を飲ませたとして、28日元妻の須藤早貴容疑者を殺人と覚醒剤取締法違反の疑いで逮捕した。今日のワイドショーでは、この話で持ち切りである。コロナ渦で大変な世の中なのに、こんなくだらない事件を大々的に報道する、メディアの倫理観を疑う。twitterなどで、和歌山県警を賛美する人があまりにも多すぎる。明日から、地元の新聞社も警察の捜査を、過大評価していくことに違いないだろう。こういた現象は、非常に恐ろしい事である。「慎重に捜査したうえでの、立件という」褒め言葉には、違和感を感じる。和歌山県警と言えば、カレー事件で有名だが、その捜査手法にも様々な問題があるとされている。その証拠に、数多くの支援団が、結成されている。また、大きな冤罪事件こそ少なかれ、過去にかなり際どいことをしてきているのではないだろうか。「関西に蠢く懲りない面々」一ノ宮美成+グループ・k21、講談社+α文庫とういう本に、その詳細が記されている。1995年11月の県知事選を前に、一本のビデオテープをめぐって、利権屋、ヤクザ、政治家、警察にマスコミまで絡んだ、とんでもない事件が発生した。旅田卓宗氏が、山口組暴力団組長に、叱責されている、ビデオテープが、世間の目に晒されることになる。また、警察と暴力団が、蜜月であること、次のような組長の会話を引用している。「今日まで、警察も俺を嫌いな人間は一つもないんよ。みんなワイを好きでおってくれるよ」7,8人の警察幹部の名前が、こんな形で出てくる。彼らと自分の親密さを自慢気に語るなかで、某幹部が、所轄署の係長のころに、「博打場のもりしたってくれよ」と頼まれたという、エピソードも披露している。あまりにも生々しい会話であるが、この取材をした、関西のフリージャーナリストの報告書を信用しても良いと思う。警察24時という番組にしても、殺人事件が発生しているのに、制作し続ける。そして、それを楽しんで見る人たち。今回の和歌山県警の逮捕を何も考えずに、手放しに評価することは、非常に危険なことである。特に和歌山のような保守的な地域では、新聞社が、警察の御用記事を書くこと甚だしい。どうやら、警察のご機嫌を取った、若手記者が、出世コースを約束されるらしい。警察は、絶対正義であると洗脳されているようだ。日本全体が、警察国家に突入していく感じがする。警察の暗部に目をつぶり、マスコミの情報を鵜吞みにするようなことは、絶対にあってはならない。

「弱者男性論」に対する、文春オンラインの記事

今日の文春オンラインの記事を読んで怒りを感じた。この執筆者は、何も分かっていない。そもそも、弱者男性たちが、ネット上で、攻撃的な言説を主張しているわけではない。ネット上で、弱者男性の振りをして、他人を不愉快な思いにさせるような発言をしているのは、強者男性の中の不心得者ではないだろうか。彼らは、弱者男性をネタに内輪受けして、喜んでいるだけである。本当の弱者男性は、声も上げられず、孤独の底で、もがき続けているだけだ。この執筆者の論調は、まるで、「弱者男性」が、犯罪予備軍と決めつけるものでしかない。「弱者男性」の切実な声は、聞き届けられないのが現実である。彼らが、日常生活で、女からどのように、忌み嫌われてきたか。そういった具体的な体験談を聞いた上で、論じるべきではないのか。恋愛圏外にある男を、嘲笑する。こういった行為に、女のみならず、男も平気で加担するようになった。ルッキズムという言葉が象徴するように、外見至上主義の時代になってしまった。かつては、男が、化粧するなど考えられなかった。眉毛も手入れし、常に女からの視線を気にしなければならない。「男は、黙って札幌ビール」の時代は何処に行ってしまったのかと叫びたい心境だ。私たちの祖父の世代では、考えられないだろう。戦争に駆り出され、復員した後は、生きるために必死だっただろう。昭和一桁、あるいは大正末期に生まれた、男たちは、気骨があった。顔のことなど気にするなどおよそ、想像もつかないに違いない。団塊の世代から、恋愛結婚も主になり、文化に変化の兆しが、見え始めた。恋愛や結婚を論じる上で、世代論と統計は絶対に必須である。生涯未婚率の数字を厳密に、考察すれば、様々なことが分かってくる。そういった深い洞察なくして、勘や感で論じるべきではない。この執筆者は、次のように締めくくっている。「誰からも愛されず、承認されず、金もなく、無知で無能なそうした周縁的、非正規的な男性たちが、もしそれでも幸福に正しく、誰かを恨んだり、攻撃したりしようとする衝動に打ち克って、生きられるなら、それはそのままに革命的な実践そのものになりうるだろう」と。ただの綺麗事であって、本当の解決策にはならない。「弱者男性」という言葉によって、より一層、負の烙印を押し、生きづらくさせていることに、この執筆者は、鈍感なのではないだろうか。

謎多き、みどり荘事件

1981年6月27日大分の「みどり荘」で女子短大生が、強姦されたうえに殺害された。犯人として逮捕されたのは、隣室に住む輿掛良一さんであった。その当時、輿掛良一さんは、隣室で女性と同棲していた。しかし、事件当日、喧嘩をして、相手の女性は、部屋を出っていてしまう。輿掛良一さんは、気を紛らわすためにお酒を飲み、眠りこむ。そこで警察は、でっちあげのストーリーを描く。輿掛さんは、お酒を飲むと、自分の行動が全く分からなくなってしまう性質を持っていた。「恋人と喧嘩して、むしゃくしゃしたので、隣の女子短大生を殺害した」という陳腐なものである。お酒を飲むと何をしたか、分からないことを前提に、取り調べ室において、輿掛さんを自白に追い込んでいく。「夢遊裁判」小林道雄著、岩波書店から引用すると、「お前、なんで逮捕されたか分かるか?新聞に載っちょる以外に現場にはお前の指紋も体毛もあったんじゃと言うのです。刑事が、あまりはっきりと言うので、私が逮捕されたのは本当に指紋も体毛があったからなのかと不安になりました。」このような誘導と、留置場での激しい取り調べによって、輿掛さんは、自白してしまう。全ての冤罪事件に共通するのは、代用監獄制度だ。法律上被告人の身柄は、拘置署に置くとされている。しかし実務において、大半の被告人は、警察署の留置場で、24時間生活を支配され、激しい取り調べを受ける。密室での人権侵害は、日常茶飯事、この代用監獄制度は、すぐ様に撤廃されるべきだ。この事件は、日本で初めて、DNA鑑定が採用された。しかし、足利事件飯塚事件同様に、その信憑性は低く、弁護団は、徹底的にDNA鑑定の過ちを追求していく。DNA鑑定の是非よりも、個人的な実感として、輿掛良一さんは、完全に犯人ではないと思う。事件当時、殺された女子短大生の部屋に、大学生らしい2人が出入りする様子が、目撃されていること。犯行時間に隣の住人が、聞いた、「神様お許しください」という謎の言葉。犯人複数説を取った方が、うまく説明できる。輿掛さんは、特異な性格を持った人であるため、警察に付けこまれてしまった。そんな彼を、弁護団は、見守り、支え続けていく。その甲斐があって、1995年7月14日に無罪が確定する。何故、警察は、大学生らしい2人を追わなかったのか。犯人に仕立てやすい、輿掛良一さんを生贄にすることによって、事件を早期に解決したかったのではないだろうか。私たちは、このような人権侵害が、当たり前の取り調べを許してはいけない。

ぼくにはこれしかなかった・街の本屋

「ぼくにはこれしかなかった」早坂大輔著、木楽舎とうい本が出版された。著者の早坂大輔さんは、会社員をしていたが、40歳を過ぎて、生き方を問い直し、本屋を開くことを決意する。盛岡市紺屋町で、「BOOK NERD」という一風変わった店名である。NERDとは、オタクという意味らしい。本オタクとう店名に込めた、早坂さんのセンスは、非常に良い。取り扱うのは、1950年から2000年代頃の古書、新刊合わせて、500冊で、厳選されたもののようである。一部の人には、有名なお店らしい。無名だった俳人歌人くどうれいさんのzineを出版し、ヒット記録をする。近年、早坂大輔さんのように、ユニークな本屋さんを開業する若者が、増加している。この出版不況にもかかわらず、自分のスタイルにこだわった本屋づくりは、困難を伴うだろう。彼らの本への思いには、心を揺さぶるものがある。若者の活字離れに加え、アマゾンという巨大企業に、大手書店は翻弄されている。日本全国どこに住んでいようが、アマゾンで入手できない本は、ないといっても良い。ボタン1つで、自分が読みたい本が、2,3日で、届くのだから、これ程便利なシステムはない。しかし、本との出会いに、何のドラマも夢がないように思えてならない。自分の人生に影響を与えてくれる本は、偶然にして遭遇することが多い気がする。中学、高校に街の本屋さんで、買った本は、今も大事にしている。その本を見る度に、あの楽しかった時代の頃が蘇ってくる。その街の本屋さんも、今はほとんど無くなってしまった。早坂大輔さんのように、街の本屋を開業する人は、様々な工夫をして、生き残り戦略を試みている。作家を呼んだり、イベントを催したりするなど、人との関わりをまず大切にしている。本を介して人とつながる、あるいは、情報発信拠点としての本屋さんが、これからの新しいモデルになるだろう。見過ごしてはならないのは、本屋が、ある政治的スタンスを持ち、それを利用してしまうことだ。私の住む県にも、そういった本屋がある。この本屋、口では、政権を批判したり、弱者の人権擁護を唱えたりしている。しかし、よくよく調べていくと、安全な所からしか、発言していないことが分かった。地元選出の超有名政治家には、ノータッチなのである。また、警察不祥事にも絶対言及しない。この本屋、ネット上で、左翼の本とよばれているらしい。本当の左翼に対して失礼である。一度、買取を頼んだことがあったが、自分達は、知識人であるという態度で、人を見下げ、あまりにも横柄なものの言い方。本屋さんは、文化資本を売る商売であると、過信しないことだけは、心得て頂きたいと思う。