孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

80・50引きこもり問題

近年80・50問題がメディアで盛んに報道されている。親が亡くなった後、身の振り方をどうするか。精神医学的に何らかの診断名をつけ、障害者手帳を交付させて、福祉支援のルートに乗せる。あるいは、生活保護を受給させる。確かに即戦力として、社会復帰は不可能に近いだろう。しかし、そういった二者択一を強いようとすることは、当事者の尊厳を踏みにじむもの以外の何物でもない。ひきこもり者の中には、非常に優れた才能の持ち主が数多くいる。何故、何十年も、社会との接触を拒み生きざるを得なかったのか。現実は厳しいが、当事者の無念な思いをもっと配慮するべきである。また、社会学者や三流ジャーナリストが、ひきこもり問題に口をはさむ傾向がある。ただ彼らは、斎藤環氏の言説をなぞるばかりで、何ら新たな知見を提示していない。ひきこもりを考える上で、忘れ去られていることは、恋愛や結婚の問題ではないのか。ひきこもり者の大半は、恋愛弱者あるいは性的弱者であると言っても過言ではない。スクールカーストで最下位にランク付けされた経験は、ある意味いじめよりも苦痛なトラウマである。今時の女は、恋愛や結婚において男の顔しか選択肢にない。イケメンとブスというカップルは成立する。一方不細工と美人というカップルは成立しない。この男女の非対称性こそ現代社会の病理の思えてならない。引きこもりの支援者たちは、この醜い現実を無視して、美辞麗句ばかり宣う。ひきこもりは、恋愛資本主義社会の犠牲者ではないのか。