孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

社会学者について

若手社会学者と呼ばれる人たちが、様々な媒体で発言している。名前を挙げれば枚挙に暇がないが、そのひとり古市憲寿の存在理由に疑問を感じる。氏を一躍有名にした、「絶望の国の若者たち」は感覚的に書かれたものであって、何ら学問的な裏付けのあるまともな見解とは言い難い。まったりと日常を楽しんでいるのは、ほんのごくわずかな若者だけである。この著者には、生きづらさを抱え、うつ病、ひきこもり、など社会に適応でないで苦しんでいる若者など眼中にないのだろう。いかにも慶応SFC的な感じが、私のような田舎者には、不愉快極まりない。そもそも社会学者は、何の役割を果たしているのだろうか。少し前では、大澤真幸宮台真司小熊英二、といった方々が主流だった。しかし最近は、あまり影響力もないようである。やたら小難し言葉をもて遊ぶだけで、現実世界を生きている人に言葉が、届かないように思える。全共闘世代の学者は、多かれ少なかれ「吉本隆明」というカリスマの影響を受けている。小浜逸郎という作家など最たる人だろう。保守派の論客と位置づけられているため、今の若い人は敬遠するが、氏の著作を読んでも損はない。「弱者とはだれか」、「男という不安」などは、今どきの生ちょろい思想もどきを玉砕するぐらいのパンチ力のある著書である。大学院でお勉強して、政権を批判するだけの芸当しかできない若手社会学者があまりにも多すぎる。もっと人生経験を積んで、社会的に弱い立場の人が、生きやすい社会を作るには、どうしたら良いのか考えることのできる学者の出現を期待するのみである。