孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

釣書と親の婚活

釣書の書き方」とうい文字を見て瞠目してしまった。よく見れば、親どうしの婚活を主宰する、結婚相談所の広告であった。今時「釣書」とは、時代錯誤も甚だしい。釣書とは、結婚の時に交わす履歴書のようなものである。家柄や縁戚関係を自慢して一体何が、嬉しいのだろうか。生涯未婚率が、男性23,4%、女性14%と、誰もが、結婚できる時代ではなくなった。適齢期を過ぎてた、子供が、結婚しない、できないとなると、親も心配になるの十分納得できる。しかし、いい歳をした大人であることを無視して、親が、婚活に勤しむのは、情けないというより悲しいことである。親の世代と子供の世代の恋愛や結婚の価値観が、全く異なっていることに気づいていない。一流大学を卒業して、それなりの会社に就職して、生活力もあり、人間的にも何ら問題がなく、品行方正。でも、「結婚できない」のが、「今の時代」なんですとはっきりと啓蒙するべきだ。結婚や恋愛において、女は、自分の好みの顔か否かという選択肢しか持ち合わせていない。この辺の、「イマドキ女子」について、古い価値観を持った母親たちは、想像だに出来ないのだろう。良妻賢母という言葉がまだ、色あせないのは、団塊の世代の女性までだと思う。団塊の世代の女性は、割合とリベラルなのに、結婚して、家庭に入ると、良い妻を演じてしまう傾向がある。それにしても、結婚や恋愛において、弱者男性が受ける仕打ちは、あまりにも酷い。顔の悪い男は、「恋愛圏外」に追いやられ、人間として扱ってもらえない。性格が悪くても、顔さえ良ければ、女から称賛され、数多くの女を独占する。よくメディアに登場する、正義の味方面する有名な女優、政治家、作家の結婚相手を調べてみると、考えられない、「イケメン」が多い。ただ、この場合の「イケメン」は、ただ顔が良いだけで、中身も実力も伴わない。日頃、「社会正義」を声高々に唱えている彼女たちの言行不一致には、怒りを禁じ得ない。それほど、「ただ、顔が美しいだけの男」を女たちが、所有したいのであろう。男の顔が商品化されることが、社会で黙認されていることに、誰も異議を申さない。これ程、選択的夫婦別姓ジェンダー平等が、関心を持たれているのに。それどころか、ネット上で恋愛弱者ネタて盛り上がっている輩までいる始末。恋愛弱者の人権が、遵守されず、何が、ジェンダー平等なのか。