孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

立川風俗嬢殺害事件、週刊新潮の行き過ぎた報道

6月1日に、立川市のホテルで31歳の風俗店勤務の女性を殺害し、従業員にも重傷を負わせた事件。少年法が改正されること契機に、不適切な報道がなされている。改正少年法では、18,19歳の厳罰化を図る「特定少年」と位置付け、刑事裁判に分ける対象を拡大し、起訴後は、実名報道を解禁することが可能になった。少年犯罪は、凶悪化などしていないのに、改正する必要があるのだろうか。厳罰化することによって、事件を未然に防ぐことは、絶対できないと思う。もちろん、被害者および、遺族の感情は、尊重されるべきである。しかし、犯罪を犯した少年たちの人権をあまりにも蔑ろにした、法改正である。立川の事件について、週刊新潮は、この少年の生い立ちに始まり、周囲の評判、勤務先での人間関係まで、事細かく調べ上げている。中学の同級生は、一様に、目立たないタイプで、事件を起こすとは考えられないと証言する。少年の趣味であった、バイクについては、バイクショップの店主のやり取りが、嚙み合わないことをことさら強調する。おそらく、少年は、発達障害であったのではないだろうか。こういった、先入観に基づいた取材記事を読めば、「頭のおかしい人だから、異常な犯罪を犯したのだ。」という印象操作にもつながる。今回の週刊新潮は、実名で報道している。正確には少年法改正施行は、来年の4月1日である。だとすれば、法律的には認められない。ただ、興味本位の報道で、のぞき見趣味的なもので不愉快極まりない。週刊新潮に、御立派な正論を語る資格などあるのか、はなはだ疑問である。少年の文集は、次のように記している、「相手の立場に立って、一緒に考えてあげる力を身につけていきたいです。そして、苦しい思いをしている人達を支えられられるような大人になりたいです」。この文章に対して、週刊新潮は、目指した大人とは、かけ離れた存在になってしまったと断言している。この少年について、ここまで言う権利が、週刊新潮にあるのだろうか。少年が、重度の発達障害であったならば、人権を考慮した報道がなされるべきだ。1997年の神戸連続児童殺傷事件においても、週刊誌「FОCUS」が、少年の顔写真と実名を掲載した。新潮社の少年犯罪の報道スタンスは、まったく変わっていない。