孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

小学校2年生の子供を事故で亡くした犯罪被害者なのに死刑廃止を訴える 片山徒有さんのやさしさ

2019年に発生した池袋の事故では、飯塚幸三被告が、上級国民と間違った呼ばれ方をされ、世間からつるしあげられた。裁判の判決の中に、「社会的制裁を受けて」という文言があり、刑が減刑されたのは、とんでもないという考えがあるが、何か違和感を感じてならない。この事件は、被害者感情が大々的にメディアによって報道されて、真実を見る目が曇ってしまったのではないだろうか。犯罪被害者でありながら、犯罪を犯した人間に関わって、「死刑廃止」を訴えている人がいる。その人の名前は、片山徒有さん。1997年11月に、小学校2年生の次男である片山隼君が、登校中に、ダンプカーにはなられて死亡した。運転手の不起訴処分に疑問を持った、片山徒有さんは、再捜査を働きかけて、ようやく検察は誤りを認めて、起訴し、業務上過失致死で運転手は、有罪が確定した。その運転手は、当時30代で、執行猶予の判決が下されたが、片山徒有さんのもとには一度も訪れていないという。片山徒有さんは、犯罪被害者の立場なのに、少年院や刑務所で講話をするなどの活動を続けている。昨年、犯罪被害者加害者を支える活動を取り組む人たちが、結集した任意団体「犯罪に巻き込まれた人の支援」を立ち上げた。片山徒有さんもその代表者の一人である。片山徒有さんは、12月に改正された、少年法に疑問を抱いている。犯罪を問う年齢を引き下げることが、社会復帰につながらず、少年院で矯正教育を受ける機会を減らし、再犯が増加するだけと指摘されおられる。小学校2年生の子供を事故で失った立場なのに、犯罪加害者の立場に立って、日本の司法に意見を表明する、片山徒有は、異色の存在であると思う。普通であれば、犯罪被害にあれば、加害者憎しという感情に駆られて、「刑の厳罰化」を求めるはずである。犯罪を犯した者の人権まで考えられる、その人間的なやさしさ、器の大きさには、驚かされると。「修復的司法」という、犯罪の当事者たちや周囲の人たちの人間関係を修復することで、更生や再犯防止を促し、究極的には、加害者と被害者が対面するという考え方がある。賛否両論があるが、片山徒有さんらの取り組みは、「修復的司法」に近いものである。近年、普通の人が、何かのきっかけで、犯罪に手を染めてしまうことが多い。子供を失っても、活動を続ける、片山徒有さんの刑事司法への思いが、実現することを望むばかりだ。