孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

古市憲寿 眞子さま結婚は「Jポッの歌詞みたい」には絶句

古市憲寿が2日フジテレビ系の「めざましテレビ」で、秋篠宮眞子さまが、小室圭さんとの愛を貫き結婚する方向で進んでいることに対し、「Jポップの歌詞みたい」とコメントした。バッシングを乗り越えての結婚を、世界を敵に回してもあなただけを愛したいってあるじゃないですが、物語や歌の歌詞に出てくる世界を体現している」と、眞子さまの純愛が、歌詞のようだとコメント。正気で言っているのか、疑いたくなる。皇室の誰が誰と結婚しようが、私はあまり関心ないが、一連の小室圭さんの母親のスキャンダルが連日報道された。そうした週間誌報道が事実であれば、この結婚は、日本の皇室の品位を下げしめるものではないだろうか。眞子さまの結婚を、女の自立と自分たちの都合の良い解釈をする人たちが数多くいる。たとえば、国際政治学者の三浦瑠璃は、次ののように発言している。「眞子さまは、結婚すれば、皇籍を抜けて、一般人になる方。相手方の金銭トラブルの有無にかかわらず、その結婚に口を挟む話ではない。眞子さまの決断が、合っていようが間違っていようが、自己決定は人間の権利だし、人間は、自己決定を通じてしか成長できない。」これだけ、週刊誌で金銭トラブルが報道されたわけだから、常識的に考えて、祝福される結婚と言い難い。三浦瑠璃の発言には、女性の自立を眞子さまに投影したいだけの、フェミニズム的思考が如実に表れているように思えてならない。眞子さまは、一時金を辞退したらしいけれども、何らかのサポートがなされることは、必然。私たち、庶民とは別世界のお方なのだから。皇室経済法によると、一時金は、1億3700万円と見込まれる。眞子さまを見ていると、イマドキ女子を象徴しているように感じてならない。小室圭さんという、イケメンを、何としてでも手放したくないという、我儘ぶり。その辺の女子と全く変わらない。コロナで、国民が苦しんでいる時期に、そのような発表をする無神経さにも嫌気がする。