孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

大阪道頓堀 外国人が暴行殺害されるのを スマホで撮影していた人たちの残酷さ

今年の8月2日に大阪の道頓堀で、ベトナム国籍の、チン・トウ・アインさんが、知りあったグループ内でトラブルになり殺害された。暴行されて、亡くなるまでの10分間の様子を、多くの人たちが、スマホで撮影して、誰も、110番通報するなり、助けようとしなかった。110番通報があったのは、暴行が終わった後で、「外国人が溺れている」という、たったそれだけの内容のものであった。「喧嘩なんか、この辺では、しょっちゅう起きている、巻き込まれたくないから、撮影も通報のしない」という声がある。ただそれだけの事だけではない、時代の病理を孕んでいるような気がしてならない。SNSをめぐる問題に詳しい、国際大学の山口真一准教授は、次のように指摘している、「若い世代の人たちにとっては、動画や写真を撮影して、すぐ投稿するのが、日常のルーティンになています。投稿する、ハードルが低く、ものすごく気軽にSNSで発信してしまいます。事件を目のあたりにしたとき、警察に通報するのに比べ、自分のアカウントとして発信する方が、圧倒的にハードルは低い」と。確かに、誰もが、情報を発信して、自己承認を求める時代になった。ニュースなんか見ていると、火災現場の模様が報道される様子は、視聴者から提供された映像である場合が大半である。他人の家が焼けている様子を、スマホを向けて撮影しているのは、「どういう神経をしているのか」と日頃から感じていた。しかし、「人が、殺害される様子」を撮影する人たちが、出現するとは驚きと怒りを禁じ得ない。確かに、大阪のミナミで、誰か喧嘩していたら、関わりたくないのが当然である。余程、喧嘩に自信がある、男ぐらいしか止めに入らないだろう。だが、真っ先に110番通報するぐらいのことは、出来るはずである。それどころか、スマホで撮影するというのは、あまりにも残酷な行為に思えてならない。SNSの発達で、自分と関わりがある人以外に対しては、無関心なのは、今の時代を象徴している。日本人が好んだ、「義理や人情」などは、もうどこにも存在しないのかもしれない。