孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「女性の人権」を主張する女ほどプライベートでは「イケメン」しか眼中がなく「不細工男」を馬鹿にしている

最近、「ジェンダー平等」や「選択的夫婦別姓」など、過度に女性の人権が尊重され始めた。「ジェンダーギャップ指数」などの不確かな統計を引き合いに、女性が生きづらい社会であることを強調することが、あたかも正義であるかのような風潮に違和感どころか、怒りを感じてしまう。女性議員や女性管理職の数が、少ないからといって、それが、本当に不幸せなことなのだろうか。朝日新聞を毎朝読んでいると、うんざりしてくる。もっと、社会の中で取り上げて、考えていけなけれなならない問題が数多くあるにもかかわらず、「女性の人権」についての記事に紙面が割かれている。朝日新聞の記者のレベルが確実に下がってきていることは、自明のことだ。確かに、かつては、女性が、生きづらい世の中であったことは間違いないだろう。しかし、バブル景気以降、身勝手で、自分のことしか考えていない女が、世の大半を占めるようになった。生涯未婚率が異常に増加した原因は、恋愛結婚が主になったことは言うまでもない。しかし、団塊の世代。私の親がそうであるが。この世代は、恋愛結婚であるが、見合い結婚に近い部分がある。ある会社に就職し、仕事も身に付いてきたら、上司が、結婚のことを気遣ってくれたりした。そこで、ある女性と見合いをすると、ほぼ、カップル成立となった。なぜなら、「真面目に働いてくれそう」「人柄が、誠実そう」そういったことを重視して、女は、結婚という決断に踏み切るからである。そういった牧歌的な時代が過ぎ去り、バブル景気に突入し、「恋愛資本主義」の時代に様変わりしてしまう。女が男に求めるのは、「顔が良いかどうか」のみ。街を歩くのに、「不細工」な男だと、格好悪いからという、ふざけた馬鹿女が増加し始める。令和の時代は、すでに末期症状を呈している。「顔の悪い男」がまるで、戦犯のように扱われ、社会の片隅に追いやられ、ひっそりと生きていかざるを得ない。「恋愛資本主義」において、恋愛や結婚においての選択肢は、「顔が、良いかどうか」のみ。最近では、「星野源」が最低ラインとされている。私個人の感想では、「イケメン」とされる男は、「没個性的」で少しも格好良くない。やはり、「男くさい」「人間臭い」男が、本物の男であると思う。「恋愛資本主義社会」は、女の都合の良い構造になっている。「ブス」と「イケメン」のカップルは成立する。「不細工男」と「美人」のカップルは成立しない。「美女と野獣」は過去の産物になってしまった。街を歩けば納得されるだろう。つまり、男は、女を「顔」で選ばないのに対して、女は、男を「顔」でしか選ばないのである。この男女の非対称性こそが、問題なのではないだろうか。フェミニストは、「恋愛弱者男性」の人権には、関心を示さない。むしろその差別に加担している。「恋愛弱者男性」が、日々の暮らしの中で、「自分の容姿」のことで女から、傷つけられようが、どうでも良いことなのである。フェミニストほど、「イケメン」だけで、中身のない男と付き合っていたり、結婚していたりすることが多い。口では、綺麗な御託を並べていながら、自分は、「イケメン」を所有し、「恋愛弱者男性」を足蹴にする、欺瞞に満ちた行いには、義憤を感じてならない。