中村敦夫氏が、「線量計が鳴る」という朗読劇を上演している。東日本大震災から2か月後の2011年5月に福島県いわき市で、がれきを目のあたりにして、「事実を知っただけで、何もしないのは責任を放棄したことと同じ」と感じ、舞台で、表現することを決意した。仮設住宅のお年寄りや仕事を失ったっ畜産農家などの声を集め、約3年かけて朗読劇を仕上げた。作品内容は、双葉町で生まれ育った原発配管技師の男性が原発の問題点や被爆の危険性を独白するというものでる。「原発事故の後始末は、ほとんど進んでいない」「論点外しと詭弁の連続で不都合を隠す政権」に怒りを感じ、「経験者の声で次世代に伝えていきたい」熱く語る。中村敦夫氏は、「木枯し紋次郎」で一躍有名になった。その後、ニュースキャスターを務めて、政治家に転向する。「盗聴法」に反対するなど一貫して、政権と対峙してきた。それにしても、中村敦夫ほど、役柄と私生活の姿が一致する役者は数少ないのではないだろうか。「木枯し紋次郎」は、中村敦夫氏のはまり役である。ニヒルで冷酷なようで、実は、熱い正義感を持ち、最後には人助けをしてしまうというキャラクターは、一般の視聴者を魅了した。以後、中村敦夫氏は、強烈なまでに、「男くさい」役を演じていく。「必殺仕業人」では、殺し屋を。「おしどり右京捕り物車」という時代劇では、下半身を付随になって、「捕り物車」という「車いす」のようなものに乗って、悪人を次から次へと斬り捨てていく。1970年代の反社会的なドラマに中村敦夫氏は不可欠な存在であった。1980年代以降、トレンディードラマが流行し始めて、中村敦夫氏のような「男くさい」役者は敬遠されるようになった思う。次第にドラマや映画の世界から離れて、政治の世界に入っていったのではないだろうか。しかし、今でも、テレビ時代劇で、特別出演されることがあるが、その「男くささ」は、別格である。東日本大震災から、11年が経って、あれほど反原発と言っていた人は何処へ行ったのだろうか。そんな状況で、80歳を超えて、朗読劇というジャンルに挑む中村敦夫氏の取り組みは、もっと評価されるべきだと思う。