孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

パソコン遠隔操作事件 片山祐輔被告はスクールカーストの下位であったことが犯行動機につながったのではないだろうか

パソコン遠隔事件という事件があった。あれから10年が過ぎた。この事件で逮捕された容疑者の片山祐輔被告については、メディアが様々な情報を流した。片山祐輔は、学習院中学に入学するも、人間関係がうまくいかない。その後、東京電機大学に入学するも、また中退する。そして、専門学校に進学し卒業後は、IT関連会社に就職する。片山祐輔被告を見ていると、典型的なコミュニケーション弱者であることが分かる。学習院中学に入学できるだけの能力があったにもかかわらず、片山祐輔被告は、周囲からいじめられて、人生が狂い始める。片山祐輔被告が、特殊な人間だとは到底思えない。片山祐輔被告は、1982年生まれである。2008年に東京秋葉原で無差別殺傷事件を起こした、加藤智大被告も同じ学年である。ただし、加藤智大被告は、1983年の早生まれである。加藤智大は、学生時代は、友達も多く決して、片山祐輔被告のように不適応であたわけではない。しかし、加藤智大被告が、呪詛のように、繰り返す、「顔が不細工」「彼女さえいれば」などの自らの容姿に対するコンプレックス。この点は、ある意味、片山祐輔被告が置かれていた状況とさして変わらないように思えてならない。加藤智大容疑者については、ネット上で、「実際に彼女がいた」などの真偽定かでない情報が流れているが、そんなことは、問題の本質に全く関係ない。私が言いたいことは、加藤智大被告が、「自らの容姿」を過剰なまでに気にしなければならない、社会そのものが異常であるということだ。現代では、男でも化粧をしなければならない「見た目がすべて」という文化が若者を支配しているからだ。かつての時代から、男が、「眉毛の手入れをしないと馬鹿にされる」などと想像できただろうか。男は、汗水たらして、働いている姿が格好良いとされた。そうしたことは、過去の産物になってしまった。バブル景気の頃から、今日に到って、「見た目がすべて」という価値観が子供たちにまで浸透してしまった。その最たるものが、「スクールカースト」ではないだろうか。「スクールカースト」は「いじめ」よりも子供の心を傷つけてしまうだろう。何故なら、大人社会になっても、「スクールカースト」的なものが対人関係を支配するからだ。本当に生きづらい世の中になったと思う。