孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

芥川賞作家 田中慎弥 石原慎太郎を挑発した記者会見から10年 ひきこもりは小説家にはなれないと思う。

2012年1月に田中慎弥さんが「共喰い」で芥川賞に選ばれた。その記者会見が、石原都知事を挑発する内容で非常に話題になった。田中慎弥さんは、次のように発言している、「確か、シャーリー・マクレーンだったと思いますが、何度もアカデミー賞の候補になって、最後に賞をもらったときに、私がもらって当然だと思うって言ったそうですが、まぁだいたいそういう感じです。4回も落っこされた後ですから、ここらで断ってやるのが礼儀といえば、礼儀ですが。私は、礼儀を知らないので、断ったって聞いて、気の小さい選考委員が、倒れたりなんかして、都政が、混乱しますんで、都知事閣下と都民のために、もらっといてやるです。とっと終わりましょうよ」。この記者会見は、笑いの渦に巻き込んだ。石原慎太郎へのあてつけた発言と、田中慎弥さんの挙動不審な動きが、記者たちにとって面白かったのだろう。しかし、私は、全く面白くなく、不愉快な思いになった。もう少し、洒落た発言ができないのかと言いたくなった。やはり芥川賞を受賞した記者会見での発言は、作家としてのセンスが問われる。この田中慎弥さんの発言は、野暮の骨頂で、作家的センスがないと言っても過言ではない。田中慎弥さんは、4歳で父親を亡くして、母親と2人暮らしをしていた。高校卒業後、大学受験に失敗してからは、アルバイトを含め、一度も職に就いたことがなく、20歳の頃から小説を書き始めたそうである。純粋なひきこもりである。ひきこもり達の中には、田中慎弥さんを崇拝する者まで続出した。ひきこもりの希望の星として。しかし、ひきこもりが、小説を書くのは無理だと思う。ひきこもり続け、東西南北の小説を読み漁って、文学修行しても、まともな作品を創作することは絶対できない。何故なら、人生経験がないからだ。小説に必要なのは、やはり鋭い人間観察である。他者との関係がない、ひきこもりには、それが欠けている。案の定、田中慎弥さんの本を読んでみたが、途中で嫌になって読むのを辞めてしまった。借り物の言葉ばかりで、心に沁み込んでこないのだ。女の描き方も下手。女性経験があまりなくても、豊かな感受性で補うことにも限度がある。やはり小説家は、自身の体験にもとづいて、洗練された言葉で虚構を作り上げていくものだと思う。