孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

人生経験があまりなくても 瞬間的に「相手の目」を見たら その人の「人間性」を悟ってしまう ある種の才能を持った人間もいると思う

私は、どうも人の好き嫌いが子供の頃から激しい性格である。3歳頃になるまでは、言葉を発することはなく、親も「知能」が遅れていると心配したぐらいであったが、3歳になると同時に急に話し始め、その後は、何の問題もなかった。反動として、急におしゃべりになった時期もあった。もし、現代であれば、「自閉症スペクトラム障害」などと、勝手に診断されていただろう。しかし、親の話によると、言葉は発しないが、物事に対する「理解力」があったために、「知能」の遅れはないと確信していたそうだ。私は、パズルが子供の頃から得意であったり、電車や車の玩具に異常に興味を示すタイプであった。将棋の藤井聡太と、私は、誕生日が、7月19日で同じである。向こうは、大天才で、名前を引き合いに出すのは、おこがましいが、誕生日が同じというのも何か、共通項のようなものがあると思う。私の子供の頃のエピソードとして、親から聞いて印象に残っているのは、来客があった時に「気に食わない人」に向かって、「お客さん、早く、帰ってください」と直接言ったそうだ。その来客の事を聞くと、どうも「上流階級」の家族の方々で、幼児と私にとって、「嘘くさいもの」を感じたのではないだろうか。私は、勝手にそのように解釈している。どうも、私は、「嘘くさい」ものが、今でも嫌いで、異常なまでに反応してしまう。例えば、人間関係で、皆から好かれている人に「偽善的な部分」を感じ、私だけが、拒否反応を起こしてしまう。善人と思われている人間の嫌な部分を必要以上に感じとってしまい、その人間を攻撃してしたくなる。あるいは、飲食店の女性店員の接客にも、過剰反応を示してしまう。感じの悪い女の店員であれば、不愉快で仕方ない。一方、感じの良い女の店員であれば、感心してしまう。私は、「相手の目」を瞬間的に見てしまう悪い癖がある。特に、初対面の相手であれば、「ファースト・インプレッション」として、相手が「私をどのように見たか」ということが、「相手の目」に如実に表れるからだ。相手が、自分を小馬鹿にした、あるいは親しみを持ったかは、一目で分かる。このような性格は、非常に生きづらいが、41歳になった今から急に改善する必要はなく、あるがままに生きていこうと思う。