孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

好き勝手なこと 薄汚いことをして「短命」の人生と 社会に適応出来ず「ゴミ屋敷」で孤独に死んでいく人生 どちらが幸せなのだろうか?

近年、「ゴミ屋敷」で死体で発見されて死んでいる人たちの存在が、社会的に問題になっている。様々な原因が考えられるが、私は、最大の原因は、「未婚社会」であると思う。「ゴミ屋敷」で、誰にも看取られず、死後、長らく経って、発見される人の割合は、女性よりも男性の方が圧倒的に多い。何故か。男性の方が、結婚できない時代であるからだ。生涯未婚率という数字を見ても、男性の未婚率が女性の未婚率よりもはるかに高い。生涯未婚率は、50歳の時点で、「一度も結婚していない人」と言う定義であるが。統計の裏をよくよく考えていくと、女性の場合に、結婚はしていなくても、「付き会っている男性」がいるケースがまま見受けられる。しかし、男性の方は、文字通り、50歳になっても、「結婚どころか女性と交際したことがない」という最悪のケースが想定され得る。それだけに、現代社会は、男性が生きづらいということである。今、ここに、好き勝手な事をして、薄汚い生き方をして、大病を患った人間がいると仮定する。また、その人間は、「男漁り」を散々して、自分は、「男運がない」と嘆き、子供たちが可哀想であると、主張しているとする。私からすれば、この人間に同情することは出来兼ねる。「見てくれの良い男」「イケメン」ばかりを襟好みしたのは、「自分」であるということを全く忘れて、相手の男に責任転嫁をしている。この人間と「ゴミ屋敷で孤独に死んでいく人間」とどちらが幸せなのだろうか。私は、好き勝手に打算的に生きてきたが、急に大病を患った前者の方が、絶対に幸せだと思う。前者の人間には、たとえ短命であっても、看取ってくれる「子供」というかけがえなのない存在がある。それに引き換えて、「ゴミ屋敷」で誰にも看取られずに孤独に死んでいく後者は、あまりにも過酷な人生を背負わされたのではないだろうか。最近の統計では、未婚の男性の平均寿命は、はるかに低い。この事は、「孤独がいかに、人間にとって不幸であり、心身に負の影響を与えるか」を物語っている。人生は、「短命」と「長命」で「幸せ」を決めることは出来ない。最も「悲劇」は、「孤独」なうえに、「短命」な人生だろう。好き勝手に、薄汚いことをした人間は、たとえ「大病」を患ても、克服して、また元気になることの方が割合的に多い。おそらく、「誰かのために、生きなければ」という想いが「生への執着」となって、「病気」に打ち克つのではないだろうか。一方「孤独な人」は、病気になっても、「誰も助けてくれない」という悲観的な想いにふさがれ、ますます病気が悪化する。人間の人生は、かくも不条理になものかと、私は思う。