孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「人生はすべてタイミング」 どうして私の人生は上手く行きかけて「想定外のアクシデント」に見舞われるのだろうか?

「人生はすべてタイミング」だと日々痛感している。私の人生は、何時も上手く行きかけて、「想定外のアクシデント」に見舞われて、潰されてきた。これは、「被害妄想」でもなんでもない。一方、何の苦労もせずに、楽をしながら、社会的地位に就いて幸せを享受している人間もいる。「タイミング」が悪いと、どれほど才能があって、優秀な人間でも、不遇をかこつことになる。そうした「挫折」ばかり経験してしまうと、どうも人生そのものが「負の連鎖」に陥ってしまうようだ。努力をしても、報われない。そして、次第に心身ともに疲労困憊になって、「人生の落伍者」になってしまう。「セルフネグレクト」という言葉が象徴しているように、何もかも人生が上手くいかないので、自暴自棄になって、「ゴミ屋敷」の住人になったり、「無敵の人」と呼ばれる無差別殺傷事件を起こしてしまう人間がどうしてもある一定程度出現してしまう。「ゴミ屋敷」に住む人間は、きれい好きで、几帳面な場合が非常に多い。その反動として、わざと「ゴミ」を溜めてしまう。その根底には、「他者に助けてもらいたい」という切実な救いの声がある。残念ながら、そうした救いの声は、聞き届けられることはない。「ゴ屋敷」で孤独に死んで、腐敗した死体で発見された後に、ようやく「業者」の手によって「ゴミ屋敷」が片付けられるだけである。何と悲しい時代になったのかと思う。「無差別殺傷事件」を起こす人間については、事後的な「精神分析による動機の解明」にばかり重きを置かれる。したり顔で、犯行を犯した人間の心理を解釈している専門家などを見ていると、私は不愉快になって仕方がない。「タイミング」をつかむコツは、あるかもしれない。しかし、「タイミング」をせっかく掴んでも、私のように「予期せぬアクシデント」に見舞われてしまう人間もいるのだ。私は、まだ人生の勝負を諦められず、もがいている。「往生際が悪い」と言われようと、精魂尽きるまで頑張るつもりだ。