孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

全身から炎が出るかのごとく 情念が先行して周囲と軋轢を起こしてしまう私 この性のようなものと一生付き合う覚悟のつもりである

私は小さい頃から、一つの事に集中すると、前屈姿勢になり、全身から炎が出るかのごとくその物事に入り込んでしまう癖がある。小さい頃の思い出として、いくつか挙げられるのは、まず、「パズル」が得意であったこと。パズルのピースを埋めていき、完成させるのが異常に早かった。そして、保育所の運動会などでは、「障害物競争」と「駆けっこ」では、常に一番であったこと。人一倍「争い好き」「負けん気」が強い私は、フライングをしてしまうという悪い癖があった。スタート音が鳴る前に、もうすでに走り始めていた。この「駆けっこ」には面白いエピソードがある。私は、3人姉弟である。姉は、保育所の「駆けっこ」で、スタート音が鳴ると、間違って、「逆方向」に走り始めてしまうほどの天然。弟は、「他者と争うことなどに関心がなく、順位などどうでも良く、他の園児が走り始めた後に、鷹揚と走り始める」マイペースというか、協調性の強いタイプ。この3人の中で、人生が一番うまくいっていなく、「社会生活不適応者」になったのは、私である。このエピソードを検討してみると、やはり私のように、「争い好き」「負けん気」が強く、何が何でも他者に勝ちたいと思い、「フライング」をしてしまうタイプの人間は、はっきり言って社会では何かと生きづらい。やはり、弟のように、「他の園児が走り始めた後に、笑って走るような性格」の方が、社会の中で生きていくのには得をする。案の定、弟が一番要領良く世渡りをして、上手くいっている。姉も、それなりの人生を送っている。兄弟の中で一番不幸なのは、私である。どうも、私の人生を振り返ってみると、自分の良さが他者に認められるどころか、それを欠点として評価されてきたように思えてならない。私は、理性的であるつもりだが、時として、「情念が先行してしまい」、他者と軋轢を起こすことがしばしばあった。周囲は、「危険な人」「厄介な人」と思うのだろう。しかし、最近「それでも良いのではないか」「他者におもねって生きていくより、一回しかない人生自分のやりたいようにやればいいではないか」と思うようになった。この性のようなものと私は一生付き合う覚悟のつもりだ。