私は、毎朝喫茶店で、各紙新聞とスポーツ新聞を読むのが習慣である。
「朝日新聞」を特に念入りに読むのであるが、年々質の低下が激しい。
一見して、「社会的弱者」の視線に立った記事を書いているが、それは表面的なもので、全く真実味がないおよそ空疎なものだ。
「朝日新聞」の声という「投書」欄がある。
その声欄に投書する人たちは、他の新聞の投書よりも、一般的に「インテリ」と呼ばれる人たちが多い。
しかし、良く読むと、ジェンダー平等や選択的夫婦別姓を主張するものばかりで、「朝日新聞」の社説をなぞったものに終始している。
もっともらしい事を書きながら、自分たちは、裕福な生活を享受している。ただ、「知的虚栄心」を満たすためだけのものだ。
「朝日新聞」の記者は、ただ警察の御用記事を書きながら、一方で、「戦争や平和」を論じる。こうした2枚舌には、怒りを感じてならない。
戦前は、戦局に協力をし、戦後は、「リベラル」に転向した、「朝日新聞社」には目に余るものがある。