孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「警察タブー」「皇室タブー」「同和タブー」危険な報道をする雑誌が無くなった 「文春砲」の一人勝ちであるが物足りない 

週刊誌が全く面白く無い。特に、2004年に「噂の真相」が廃刊になって、その傾向がますます強くなった。現在は、週刊文春の「文春砲」の一人勝ちという状況である。週刊現代週刊ポストは、かつてかなり過激な報道をしていたが、最近は、「団塊の世代」の「健康不安」「お金不安」を解消するためだけの雑誌という感が否めない。アサヒ芸能、週刊大衆、週刊実話という雑誌は、「暴力団の抗争」の情報を垂れ流すだけのものに堕っした。かつては、「反権力」を標榜して、際どい記事が多かったのに、編集方針がいつの間にか激変してしまった。山口組が分裂して、その動向を報告するものばかり。一体誰に向けて、情報発信しているのだろうか。アサヒ芸能、週刊大衆などは、「学生運動」にコミットして挫折した大学生が入社して、反権力に立ち、問題意識を持っていたので、充実した企画が生まれたのだろう。そもそも、最近は、「過激な思考」を持った大学生が皆無になった。週刊誌も、そうした人材を求めなくなっているのだろう。かろうじて、頑張っているのは、「創」週刊金曜日」ぐらいだろうか。しかし、往年の勢いはない。「紙媒体」から、「ネット媒体」に移行したことが、週刊誌をつまらなくした原因と言われている。果たしてそうだろうか。人々が「不正を憎む」という正義感の欠片も持たなくなったのが、最大の原因だと私は思えてならない。かつては、総会屋系の雑誌などがあり、かなり際どい事をまだ無名のライターが書いた。「現代の眼」などがその最たるものである。オーナーは、木島力也という総会屋。この「現代の眼」の執筆ライラ―から、今や大御所的なジャーナリストが生まれたのは非常に興味深い。総会屋がバックにありながら、「真実」を追求する正義感あふれる記事が掲載された「矛盾」に週刊誌の意義と本質があるのではないだろうか。「文春砲」のようなやり方が時代の最先端であるのかもしれないが、物足りない。「警察タブー」「皇室タブー」「同和タブー」という危険な領域に挑戦する「週刊誌」が誕生することを願うばかりだ。