孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

たとえ「黒いもの」でも上の者が「白」と言えば「白」になる しかし私は誰にも従わず「黒いもの」は「黒」と言い続けたい

「黒いもの」でも上の者や身分の高い者が「白」と言えば、「白」になるというか格言がある。これは、日本人の心性を見事に表現していると思う。日本社会は、他者や世間に迎合して、自分の意見を押し殺してまで、生きていかなければならないほどに「同調圧力」が強いことだ。諸外国と比較しても、日本ほど「同調圧力」の強い国はないと思う。令和の時代になっても、やはり日本人のそうした心性は全く変わっていない。職場にも、学校においても、すべて人間関係によってその人の処遇が決まる。当たり前のことであるが。年々、組織の秩序を乱すであろう異質な人を排除する傾向が強まってきているように感じてならない。牧歌的な時代には、職場に1人は、「おかしな人」がいても、その存在が黙認されていた。「あの人は、あんな人だから、どうしようもない」というふうに、どこか大目に見て、その人の存在を受容していた所があった。しかし、最近は、1人でも、「おかしい人」がいれば、排除してしまうようになった。不景気が続き社会の方で余裕がないのが原因の一つかもしれない。私は、最大の原因は、「異物を受けいれる寛容さ」が日本人から消失したことだと思う。職場に限らず、様々な社会生活の場で、「寛容さ」が消失している。障害のある人間に対して、「バリアフリー」などと表面的な美辞麗句を「スローガン」に掲げているが、実際は、露骨な差別がまかり通ているのが実態ではないだろうか。「異物」を排除しないで、飼いならし、組織の循環を図るという「陰湿なやり口」を取る職場なり、組織もあると思う。「異物」をいじめのターゲットにして、お互いのストレスのはけ口にするというパターンだ。これほど陰湿なことはない。「スクールカースト」の最下位に属する生徒を利用して、クラス運営を図る教師などその最たるものであろう。本来であれば、教師が、「スクールカーストの最下位の子供を救済しなければならないのに、もってのほかのことだ。「黒いもの」でも上の者が「白」と言えば「白」になる。私は、誰にも従わず「黒いもの」は「黒」と言い続けたい。たとえ、変人と思われようとも。