孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

子供は純粋なものではなく「残酷」 鉄道写真家の中井精也さんは、子供に馬鹿にしたよう笑われていた 私なら「ブチ切れる」と思う

中井精也と言う人間を知っている人は、おそらく少ないのではないだろうか。鉄道写真家で、NHKの番組に出演している。また、鉄道マニアで、所謂「鉄ちゃん」でもある。その風貌と話し方が独特で、一度見たら忘れられない。巨体で、何時も「笑みを絶やさない」。失礼であるが、中井精也さんを見ているだけで、私は、癒される。私自身は、「鉄道マニア」ではないが、中井精也さんのNHKの番組を時々見ることがある。先日の放送を見ていると、中井精也さんが、子供たちに取り囲まれて、笑われている場面があった。この場面をじっくりと見直すと、中井精也さんが、有名人であることや「その人柄」に子供たちが親しみを込めて「笑っている」のではない。子供たちは、単なる中井精也さんの外見が面白しいので、小馬鹿にする感じで笑っているのである。おそらく、中井精也さんは、そんなことを気にしていないだろう。中井精也さんは、人生の中でその「独特な外見」で笑われてきたことが数多いのではないだろうか。「笑われる」ことに対してある種の「免疫」のようなものを持っているに違いない。六角精児さんも、外見で笑われる「キャラ」である。しかし、六角精児を見ていると、意図的にそういう「キャラ」を演じて、それを利用している「あざとさ」のようなものを感じてしまう。だから、六角精児さんは、女に「モテる」のである。それに比べて、中井精也さんは、やはり芸能人ではなく、「素人」である。「自分を視聴者にどのように見せるか」という「自己演出」ができない。吉田類さんなんかもその部類に入ると思う。素人が、テレビに出演すると、どうしてもテレビの画面からその人の「人間性」が見え隠れしてしまう。私なんかは、「他人からどのように思われているか」を常に意識して、生きてきた。そのため、素人ながら、割合と「自己演出」してしまう部分がある。しかし、中井精也さんが、子供たちに「おもちゃ」のように「外見」を笑われているの見ると、子供というのは、何と「残酷なもの」かと感じてしまった。私がその立場であれば、子供たちに「ブチ切れて」いただろう。