孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

広末涼子の「不倫」を大騒ぎする人たちの馬鹿さ加減  「セリフ」は棒読みで演技力はなし 私の高校時代の先生が「広末涼子」を「末広真樹子」と言い間違えたのは蓋し名言である

広末涼子の「不倫」なんて、はっきり言ってどうでも良い事なのに何故これほどまで大騒ぎするのだろうか。一つには、広末涼子と「不倫」をしたい男たちの願望のようなものがあるように私には思えてならない。広末涼子のような「ルックス」を持った42歳の女は、おそらく現実世界には絶対存在しない。ただ、広末涼子は、大女優とは言い難い。「おくりびと」という本木雅弘主演の映画で、広末涼子は、大胆な濡れ場を披露して、新境地を開いたなどと評価する芸能関係者がいるが、一体何を見ているのかと言いたい。「おくりびと」は、青木新門原作の「納棺師」の話で、生と死を扱った非常に重厚な人間ドラマである。映画版「おくりびと」は、原作に忠実であるが、今一つである。何故ならば、主役の本木雅弘の実力不足が原因であるからだ。本木雅弘演じる納棺師の妻を広末涼子が演じたが、これまた酷い「大根役者ぶり」なのだ。セリフは、棒読みで、全く演技になっていない。映画「おくりびと」で唯一見所があるのは、山崎努余貴美子の「大人の演技」である。特に、山崎努は、見事な存在感で本木雅弘広末涼子の「演技力のなさ」をカバーしている。山崎努は、何を演じても役柄に成りきってしまう。「必殺シリーズ」では、念仏の鉄という「殺し屋」を演じ、不気味な存在感を示した。伊丹十三の「お葬式」「マルサの女」では、一癖も二癖もある人間を演じ観る者を圧倒させた。まごうことなく、山崎努は、「日本を代表する名優」である。広末涼子は、歌も歌うが、はっきり言って「下手くそ」である。私の高校時代の英語の先生が、広末涼子のことを「末広真樹子」と言い間違えて、大爆笑を買ったことが思い出す。末広真樹子という名前を知っている人は関西でも、若い人では皆無だと思う。末広真樹子は、タレントで議員であり結構有名なタレントである。今は、テレビに出演していないが。広末涼子の「不倫」を週刊誌もテレビも大々的に論じる。そして、ネット上で論じあう。何と馬鹿馬鹿しいことか。