孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

山里亮太 「不細工キャラ」を売りにしているが 内心では「イケてない男と自分は格が違う」と言う思い上がりが見え見え こういう奴の「打算」を「芸風や才能」などと言わない

私は、山里亮太が大嫌いだ。「不細工キャラ」を売りにして、芸能界で売れっ子で、司会も器用にこなす。そんな彼を一般の視聴者は、山里亮太は、「芸人としての才能がある」と思い込んでいる。芸能界では、「キャラを確立すること」が売れっ子になるための条件でもある。そういう意味では、山里亮太は、「不細工キャラ」を世間に印象づるのに成功したと言えるだろう。山里亮太が書いた「天才はあきらめた」と言う本を私は読んだことがある。全く、中身のない「空疎」なもので、「知性のかけら」もなかった。芸能人が文章を書くことが多くなってきた。星野源の本も読んだことがあるが、全くつまらなかった。要するに、出版社の「編集者」が、彼らの「知名度」を利用して、出版部数を見込んでの企画に過ぎない。山里亮太には、「本物の知性」など全く兼ね備えていない。その点、山崎努は、「週刊文春」で読書日記の連載をしていたが、「素晴らしい知性と感性」を持っている。最近も本を出したが、俳優として役を演じるうえで、山崎努は、どれほどの「苦労と人知れない努力」を重ねているか。「饒舌な人間」ほど、底の浅い者はないと私は考えている。「読むに耐えうる文章を書くということ」は、自分の内面を見つめ、「ほとばしる情念」のようなものと対峙する「孤独な作業」だと私は思う。山里亮太は、「不細工キャラ」を演じているが、「自分はイケてない男」と格が違うと思っているのが見え見えだ。山里亮太は、蒼井優と結婚したことを「成功者」と考えている人間がいる。これは、全くの大間違い。蒼井優は、「ブス」だ。仮に山里亮太が、もう少しランクの上の女優と結婚すれば、「成功者」と呼べるだろう。蒼井優クラスの女と結婚したぐらいでは、「成功者」とは言い難い。山里亮太のような男は多い。「合コン」もう死語になったが。「合コン」などで、敢えて「不細工キャラ」を強調して、何とか女と付き合おうとするかつての「大学生」と変わらない。山里亮太のような芸風は、今の芸能界だから通用するのであって、「本物の芸」を要求されていた昔であればとても通用しないと私は思う。