孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

精神科医 川野泰周 「お坊さん」で「精神科医」 「マインドフルネス」とか「禅」をして 果たして「生き地獄にいる人」たちは救済されるのか?

最近メディアに精神科医の川野泰周が、良く出ている。川野泰周は、「精神科医」で、「お坊さん」である。「マインドフルネス」や「瞑想」によって、自分の心を見つめ直すことによって、鬱病や心の病気を回復させていくというのが、川野泰周の主張である。この手法が、多くの人に受け入れられているが、私は疑問を感じてならない。「軽度の鬱病」であれば、自分を見つめ直すことによって、「こころの健康」を取り戻すことは容易であろう。しかし、現代社会は、「鬱病」と言っても、人によって「状態や重症度」が全く異なってくる。かつて、「森田療法」とい心理療法があり、一部の人たちが大絶賛した。「森田療法」は、「あるがまま」第一義として、「自らの苦悩」をありのままに受けいれて、「目の前にある仕事や自分が取り組まなければならない事」に専念することによって、心の安寧を図るというものだ。問題なのは、「あるがまま」に苦悩を受け入れるということは、現代においてそう容易でないことだ。「複雑化した社会構造」「昔のようにはいかない、職場や学校での人間関係の陰湿さ」など、「森田療法」を実践する土壌が現代の日本にはないように私は思う。「パニック障害」という病気がある。日本人の中で「パニック障害」に罹患している割合は相当高いのではないだろうか。芸能人なども「私は、パニック障害でで苦しんでいる」と告白して、芸能活動を休止するケースが非常に多い。「森田療法」では、「パニック障害の症状」が出ても「ありのまま」に受け入れて、「自分が取り組まなければならない事」に専念させるという治療方針を取る。もちろん、「少量の薬物」も使用する。余程の事がないと、「パニック障害」にとって「森田療法」は意味を成さないだろう。「パニック障害」の裏にある「心理的ストレス」「心の葛藤」を取り除かない限り、完全に治癒しない。川野泰周がやっている「瞑想」や「マインドフルネス」も同じことで、人生のどん底にいる人たちにとっては、全く無意味である。川野泰周を見ていると、甘言を弄しているだけのように思えてならない。「生き地獄にいる人」にとって、川野泰周の能天気な言葉は逆に失礼ではないだろうか。