孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「セックスボランティア」「障害者の性」というセンセーショナルな題材を扱った 作家の河合香織  今も「障害者の性」にこだわり続けていたら良いが 自分が「売れっ子作家」になるために「障害者の性」をネタにした 障害者を冒瀆する行為だ!

「セックスボランテイア」と言う本が一時期話題になったことがあった。私は、この本を読みかけたが、不愉快になって、読むのを止めた。「セックスボランティア」の著者である河合香織が、根底で「障害者」を見下げているのが、文章の行間から滲み出ているのである。最近では、「障害者の性」を扱った本もかつてより増えてきた。NHKの「バリバラ」と言う福祉番組に象徴するように、「障害者が自己発信していく」という「当事者主体の障害者運動」が主流になってきたからではないだろうか。「バリバラ」などは、「障害者も健常者の同じ人間である」ことを過度に強調して、かえって「障害者を見せ物」にしているというトンデモナイ「新な差別」を生み出しているのだが。「セックス障害者」の中に「命がけ」で「風俗店」に行く老人が出てくる。障害者専用の風俗がなくて、何件も断られたエピソードなどが出てくるが、読んでいると「この老人の性と生」そのものがあまりにも過酷であることを感じられずにいられない。河合香織は、この老人に対して「どこか冷ややか」である。「ノンフィクションライター」は、取材対象にある程度「距離感覚」を持って接するべきである。しかし、「障害者の性」を扱うならば、取材対象者にどこか「人間的な親近感」を持つべきだ。「障害者」を可哀想と思うのではなくて、「ひとりの障害者」ととことん付き合って、彼らの人生に肉薄していくべきである。河合香織の文章を読んでいると、「障害者」は「自分とは違う人種」であり、自分は「ノンフィクションライター」であって、あくまでも「取材対象者のひとり」でしかないという「冷たさ」「人情のなさ」しかない。河合香織は、女の自分が「際どいテーマ」を取材したことを売りにした。その結果「セックスボランティア」は、一躍ベストセラーになった。河合香織は、その後「障害者の性」についての本を上梓していない。「ワイン」「出生前診断」などのテーマを扱って「小林秀雄賞」を受賞するなど今や「ノンフィクションの世界」では、大家になった。河合香織は、自分が作家として「売れっ子」になるために「障害者」を利用したと言っても過言ではない。現在も「障害者の性」についてこだわって書き続けていたならば、別であるが。「障害者」を冒瀆する行為だ。河合香織は、性格の悪そうな顔をしている。