孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

宮台真司 小谷野敦ら「東大卒の新人類世代の二人が論じた恋愛弱者男性論」を「このぼくちゃんがモテないのをどうしてくれる」と 吐き捨てた上野千鶴子の「読解力のなさ」と「徹底した恋愛弱者男性差別主義者」

宮台真司小谷野敦らが、90年代末期に「恋愛弱者男性論」をそれぞれ論じて話題になった。ふたりとも東京大学卒であるという点も興味深い。この2人の「恋愛弱者男性論」を上野千鶴子は、「このぼくちゃんがモテないなをどうしてくれる」と言っているのに過ぎないと吐き捨てている。これは全くのピント外れである。宮台真司小谷野敦も論じ方は違えども、「恋愛弱者男性」の存在を世に知らしめて、それなりの問題提起をした点は評価できると私は考えている。ふたりとも、「メンズリブ」と言う視点を一切排除して、「恋愛弱者の存在」について言及している。ともすれば、「恋愛弱者男性論」を論じる際に「メンズリブ」に終始してしまいがちだ。「メンズリブ」は、「フェミニズム」に従属したものでしかない。小谷野敦は、「オレは、東大を出てるのに、モテない。隣のイチャイチャしている低学歴のバカップルが憎たらしい」という私怨から「男にとってモテないこと」は如何なることかを突き止めようとしている点は面白い。ただ、小谷野敦は、自らの専門である国文学に特化し過ぎて、「リアルタイムの女の生態」については全く理解できていない。おそらくその「時代の空気感を読めない勘の鈍さ」が小谷野敦が、「モテない」原因だと私は思う。小谷野敦は、「モテない男」と言う本を書いて、一躍有名になった。そのすぐ後に結婚する。結婚できたと言うべきか。宮台真司は、中途半端に「知識を身に付けようとする思春期の男の子」に過大な影響を与えた。宮台真司が主張していることは、さして「斬新なこと」でも何でもない。小難しい社会学の言葉をもったいぶって、論じているだけである。上野千鶴子は、宮台真司小谷野敦の論じた「恋愛弱者男性論」を「このぼくちゃんがモテないのをどうしてくれる」と言っているに過ぎないと吐き捨てた。全く上野千鶴子は、分かっていない。「現代の社会システム」においては、「モテない男」が生まれてくるのは必然であると宮台真司小谷野敦も主張したかった訳で、それなりに一石を投じたと私は評価している。恋愛や結婚において、男の顔が女によって「商品化」されるように。上野千鶴子は、モテない男に「マスタベーションでもして死んでください」と言い放った女だ。上野千鶴子は、徹底した「恋愛弱者男性差別主義者」だ。