孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ビートたけし 「たけし軍団」のバター犬太郎がダンカンにいじめられて「自殺」 旧ジャニーズ事務所 宝塚歌劇団の「タカラジェンヌの自殺」を偉そうに他人事のように論じるなと言いたい!

ビートたけしこと北野武が、旧ジャニーズ事務所宝塚歌劇団の「タカラジェンヌ」の自殺について他人事のように偉そうに論じている。そもそもビートたけしには、そうした「芸能界のいじめ問題」について論じる資格はない。何故ならば、かつてたけし軍団に所属していて「ダンカン」の付き人をしていたバター犬太郎が自殺をしたからだ。「自殺の原因」はダンカンのいじめにによることは誰もが周知の事実である。しかし、メディアは一切真実を報道しなかった。おそらくビートたけしという「テレビ界の大物」に配慮しての事だろう。ダンカンは、師匠のビートたけしの影響を受けて映画を撮っている。なかなか優れた作品であり、才能があるのだろう。けれども、ダンカンの目を見ていると、私はどこか「陰湿」な感じがしてならないのだ。そもそも「たけし軍団」そのものに問題がある。ビートたけしを「殿」と呼んで、崇め立てる。ビートたけしも弟子には「鉄拳」を辞さないという。ビートたけしは、弟子に愛情を持っていると世間の人は見るが、私はそうは思わない。やはり、愛情を持っているのであれば、絶対に弟子に対しては暴力を振るうべきではない。人間であれば、イライラしている時もある。その時に「弟子」のちょっとした行動が癪に触って、「暴力」を振るうこともある。それを後付けで、「愛の鞭」と言い変える事がどうやら「日本人」はお好きのようだ。私は、師弟の関係において、絶対に「暴力」を認めないという考え方を持っている。私が中学高校で「体罰教師」と出会って、酷い仕打ちを受けたからだ。ブログでも言及してるが、智辯和歌山中学・高校の「国語の教師」。こいつは、30年前に刑事訴訟法上「暴行罪」に該当する「体罰」を生徒に加えたのに、いまだに智辯和歌山中学・高校に勤務している。このような「体罰」に寛容なのは日本人の意識構造の現れだ。ビートたけしは、「たけし軍団」にとっては神様のように君臨している。「フライデー襲撃」において、ビートたけしは、「たけし軍団」を引き連れて、「講談社」に行った。まともな人間であれば、弟子が付いてくると言っても無理にでも断って、一人で「講談社」に殴り込むべきだ。ビートたけしは、その辺のあたりが「卑怯」であると私は思えてならないのだ。