孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ドリアン助川 叫ぶ詩人の会 90年代は「金髪先生」ラジオで「中高生の悩み」に真剣に答え 現在は 「夕日がきれいだなぁ」のような「ただ生きているだけで良いという老荘思想」を説く 凄い才能の人 やはり「ただ者」ではなかった!

昨日NHKテレビ「こころの時代」でドリアン助川の生き方に迫った回が再放送された。非常に見ごたえがあったが、ネットでも話題になっていなかったので、視聴率は低いだろう。テレビを若者が見なくなったというが、ネットで「トレンド」になるのは「テレビが取り上げたネタ」である。「若者がテレビを見なくなった」というのは全くの事実誤認で、いまだテレビの持つ影響力は大きい。ドリアン助川の生き方がとにかく「格好良い」のである。ドリアン助川と言えば、私たちの世代では「ドリアン助川の正義のラジオ」で中高生の悩みを聞く「若者のカリスマ的存在」であった。このラジオでは、「援助交際している女子高生に対して、肯定的な意見を言ったり」「貧困で万引きをせざるを得ないという相談者に対して、生きていくには仕方がないと励ましたり」して公序良俗を重んじる教育関係者から集中砲火されたと本人は述懐されておられた。あの頃私がドリアン助川に惹かれたのは、「本気度が半端なく、暑苦しいほどまでに情熱的であった」ことだ。今の時代であれば、「何、あいつ、ひとりハイテンションでしゃべっているの?」と嘲笑されるだけである。ドリアン助川は、中高生の質問に答えながら「自分の青春」をも模索していたのだと私は思えてならない。「叫ぶ詩人の会のメンバー」が薬物使用で逮捕されて、バンドは解散。ドリアン助川も海外に渡って、芸能界から離れる。紆余曲折を得て、2000年代末期にドリアン助川は再び芸能界に戻ってくる。作家として、そしてニッポン放送の看板番組である「テレフォン人生相談」のパーソナリティとして。今度は「テレフォン人生相談」において「中高生」ではなく「悩める様々な大人」たちに寄り添う。また映画「あん」の原作者として、作家の地位が不動になった。ドリアン助川は言う、「夕日がきれいだなぁ」と思うだけで「生きている意味がある」「生産性など無くても、良い」のだと。そうした生き方を「積極的感受」とドリアン助川は名づける。ドリアン助川以外の人間が同じことを言えば、「何を言っているんだ」と私は思う。しかしドリアン助川が言うと「説得力」があるのだ。「老荘思想」を地で行くようなものだ。叫ぶ詩人の会の頃から「持ってる人」「何かを成し遂げる人」と高校生の頃の私は思っていた。案の定ドリアン助川は、「思想家」になった。