孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

小林正観 ありがとうと言えば幸せになれる 358はラッキー数字 プチ宗教 信仰とはそんな安っぽいものなのか? 人身を惑わすいかがわしいものに過ぎない!

小林正観という宗教家がいた。既に亡くなったが、その死後も書籍が売れ続けて、熱狂的な支持者が増加している。小林正観の主張はいたってシンプルである。どんなに人生が不幸であっても、「ありがとう」を唱え、生まれてきたことに感謝をすれば幸せになれるというものだ。生前の小林正観は各地で講演会を行い、巧みな話術で人々の心を虜にした。小林正観はまるで教祖様のように彼女たちに崇められた。男前でもない普通のおっさんであるにも関わらず、何故女心をくすぶったのだろうか。おそらく小林正観はの主張は、シンプルで直ぐに幸福になれる単純なものだからである。小林正観自体に霊感や特別なスピリチャルな能力、所謂「その人の未来を予知する能力」などは全くなかった。自分の子供が病死して、不幸を乗り越えたということ売りにしている点など非常にあざとさと感じてならない。「自分は子供に先立たれるという不幸を背負ったが、その体験が自分をひとまわりも大きい人間にしてくれた」などと言えば、誰もが小林正観の術中にはまってしまうものである。また、358と言う数字がラッキーナンバーと強調した。そのためか、小林正観の熱狂的な信者の車のナンバーには、「358」と言う数字が入っている場合が多い。私からすれば、「358」の数字が入った車の運転マナーがすこぶる悪いと感じることが多々ある。つまり、「358」のナンバーにしている小林正観信者は、「自分さえ幸せになれば良いと考えて、他人の事などどうでも良い」のである。だから、乱暴な運転をするのだろう。宗教を信じるようになるのは、やはり「自分の力では抗えない不可抗力なもの」に押しつぶされて、身動きできなくなった時である。私自身も民間宗教に凝っていた亡き祖母の影響を受けて、「スピリチャルなもの」に異常なまで関心がある。しかし、宗教というものは、もっと奥深いものであって、自身だけではなく、御先祖様のことなどを考えて、存在論的な問題にまで言及するものではないだろうか。小林正観の主張は、プチ宗教で、人身を惑わすいかがわしいものでしかない。