孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

福山雅治は何故あんなに ナルシストなのか? 「下ネタ」を言う事で 「ギャップ」が男女問わず良いと評価するバカがいる しかし客観的に見れば「演技力」も全くない大根役者である トークも面白くない そもそも「役者は陽炎のごとし」そして「ナルシシズム」に浸るべきではない! 昔の役者さんの方が「色気」があった!

福山雅治を評価するバカが多い。「下ネタ」をラジオで話す事とあの顔との「ギャップ」が良いと。そもそも福山雅治は歌も演技も下手である。特に酷いのは演技。福山雅治は自分に酔った演技をしていて、あれを演技などと言うこと自体「鑑賞眼」が狂っている。毎年この時期になると福山雅治の「桜坂」がラジオのリクエスト曲でかかるのである。ベタ過ぎる選曲をする「ラジオパーソナリティー」のセンスを疑う。特に女は福山雅治が好きである。これはイマドキ女子が男を「外見の良さ」だけで判断していることを如実に証明している。女子アナなどの「男の好きなタイプ」を有名人で喩えると誰かという質問に、福山雅治が上位にランクされることが多い。また「抱かれたい男ランキング」なんかにも常に上位入りしているのではないだろうか。その反対に出川や江頭2:50分が「抱かれたくない男ランキング」にノミネートされているように。私は福山雅治が「正当派の男前」だと思わないので、恰好良いどころか、「ダサイ」と考えている。福山雅治の演技が酷いのは、「自らの演技」に酔い痴れて、役者としての限界に挑む「ある種の狂気」のようなものを一切感じさえないからだ。役者は、「陽炎のごとし」と行った名優さんがいた。全くその通りだと思う。ある役を演じれば、それ一回限りで終わり。その役に未練を持ってはいけない。何故ならば、その役の「イメージ」が世間に固定されてしまう事を回避するためだから。つまり役の「イメージ」を定着させるのではなく、次から次へと「新しい役」を演じていくのが、真の役者であるということである。山崎努という日本を代表する俳優さんがおられる。伊丹十三映画の常連であり、必殺シリーズでは「念仏の鉄」を演じマニアに間ではいまだ人気のある俳優である。山崎努さんは、必殺シリーズに続けて出演しなかった。藤田まこと氏のように。山崎努さんは、「役者として同じ役を演じて、念仏の鉄が自身のイメージとして定着する」事を恐れられたのである。山崎努さんは、87歳を過ぎた今日まで「様々な役」を演じてこられた。ある時は、「マルサの女」の脱税をするラブホテル経営の社長、またある時は、和田勉の一連のドラマのエリート商社の社長と。常に役者魂を燃やし続けてこられた。それに比して福山雅治。下手くそな「演技」とも言えない醜態をテレビに晒している脳天気な男でしかない。「演技」をなめるなよと私は福山雅治に言いたい!