長谷川博己という嫌な感じの男が林修司会の番組に出ていた。この男は蜷川幸雄の影響を受けて、演技が開眼したという。長谷川博己は大した役者ではない。恰好付けただけで、演技力もさしてない。妻は鈴木京香。鈴木京香はどうやら「中身のないイケメン」が好きのようだ。「イケメン」と言われているが、ハンサムあるいは正統派の男前と呼ぶに価する男が芸能界や普通の世界で皆無になった。現代社会で言われている「イケメン」は、女みたいな男で、女の「おもちゃ」にふさわしい男の事を指しているのではないだろうか。蜷川幸雄こと世界のニナガワは、死んだ後まで「カリスマ化」「神格化」されている。藤原竜也、吉田鋼太郎らが蜷川幸雄に育てられた役者である。蜷川幸雄自身は非常に演技が下手である。例えば、好きですという想いをストレートに感情表現してしまうところがあった。本物の役者は絶対にそうした感情表現をしない。「微妙な感情」を巧みに表現し得てこそ真の役者である。かつて、蜷川幸雄は石橋蓮司と対談した際に「お前は、演技が下手だから」と冗談で指摘されていた。ふたりは仲が良い間柄であるから、石橋蓮司は敢えて厳しいことを言ったのだろう。しかし石橋蓮司と蜷川幸雄を比較すると、明らかに石橋蓮司の方が演技が異常なほど上手である。蜷川幸雄は役者として成功することを諦めて、演出家の道を選んだのだろう。芝居の世界で「演じること」と「演技を教える」ことは別物と言われている。しかし演出家の中には自分も役者として一流の人たちが少なからずいる。宇野重吉や滝沢修などはその最たるものだろう。宇野重吉や滝沢修と言ってもほとんどの人は知らないだろうが。やはり自分の演技経験から指導する言葉の方が説得力があると私は思う。蜷川幸雄は演技指導の際に「灰皿を投げる」ことで有名だった。実際に灰皿を投げたかどうかは知らないが。自分がセルフを棒読みしかできない事実を蜷川幸雄は一体どう考えていたのかと言いたいぐらいだ。世間がちやほやしたせいで、蜷川幸雄は思い違いしたのではないだろうか。