孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

結婚難民

「結婚難民」佐藤留美著を読む。少し古い本ながら、参考になる部分もある。全体的にロスジェネ世代の「モテない男」達にエールを送っているところが、好感を持つ。ロスジェネ世代は、就職においても不利益を被り、私生活も充実していないというのが、著者の主張である。ただ、恋愛や結婚においても、資本主義のような原理が、導入されたのは、この世代からではない。生涯未婚率の統計からでも分かるように、新人類といわれる世代からである。または、バブル時代に、20歳代だった世代層が、ぴったりと当てはまるのではないだろうか。その最たるのが、「負け犬の遠吠え」を書いたとんでもない馬鹿女の酒井順子ではないだろうか。酒井順子は、男性差別主義者であることは、一目瞭然。「周囲に良い男が、いないから結婚できないと」ほざく様が、世間一般の女に受け入れられた。いかに、恋愛や結婚において主導権が、女の方にあることか。本書の中で、笑えない、悲しいケースが、紹介されている。「あるフリーターが、バイト先の女の子に告白したところ、告白すること自体ありえないと言われた。」あるいは「SEの男性が、合コンで出会った女性から、今度また飲みに行きましょうねと誘われ、あまりタイプではないものの自分の身のに合うのはこの娘くらいかもなと、誘いのメールを入れたところ、私は、みんなで飲みに行きましょうという意味で言ったんです。勘違いしないでくださいと返信され、思わず悔し涙がこぼれた」。なぜ、女が、これほどまでに残酷になったのだろうか。かつて、見合い結婚が、主流だった時代の女たちは、絶対にこのような暴言を吐かなかった。恋愛や結婚において、「顔」という選択肢すら眼中になかった。生きていくの大変で、貧しい時代、とりあえず、経済的に養ってもらえる男で、妥協していたように思えてならない。「顔」が全てという価値観に女たちが、汚染され始めたのは、やはり80年代の「なんとなく、クリスタル」という雰囲気が、大きくその後の若者の恋愛観、結婚観を決定づけた。それにしても、毎日のニュース、新聞を見ていると、嫌になってくる。女性の人権が、不必要に尊重され過ぎている。かつて、「電車男」の本田透が、不細工な男は、不可視な存在だと主張したが、全くその通りである。たちが悪いのは、「女性の人権擁護」を主張する女たちが、恋愛弱者の男を差別していることだ。大文字の正義を唱える前に、恋愛弱者の男の絶望、悲しみ、怒りを想像する力を養うべきではないのか。