孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「キャラも濃い」「顔も濃い」「書く文体も濃い」私は何故か損をしている 「濃い」方が「無個性」より100倍面白い

「濃い顔」は、女子受けしないと言われている。私の場合は、「濃い」というよりも「超男性的」「男くさい顔」「東映やくざ映画的顔」のため、イマドキの「モテ基準」から外れてしまってかなり損をしている。よく、80歳以上のおばあさんに、「あんた、男前やなあ」とよく言われる。おそらく、ある一定の世代の女性から見たら、私は、「男前」なのだろう。しかし、私は、全く嬉しくない。失礼だが、おばあさんに「男前」と言われて、何の得があるのだろかと思うばかりだ。バブル世代以降の女から「男前」と言われたら話は変わってくるのだが。「濃い顔」は、女子受けしないのは何故なのだろうか。阿部寛平井堅は、「濃い顔」でそれなりに一般女性から人気があるが、ジャニーズやイケメン俳優に比べたら、ファン層が限られてくる。イマドキ女子は、「女みたいな優男」を好む。おそらく、弱い男子をモノとして所有したいからではないだろうか。私は、「キャラ」も濃い。今は、不運続きで、暗い状況に置かれているが、元々の性格は明るい。幼児の頃は、「いちびり」みたいなところがあった。「キャラが濃い」というのも生きていくうえでは、周囲と軋轢を起こしてしまう危険が非常に高い。「個性的な性格」は、現代社会では、敬遠される。「皆と同じであるべし」という同調性の強い日本社会ではなおさらその傾向が強い。ただ、最近の芸能界では、「キャラの濃い」謂わば個性派俳優、個性派タレントが皆無になった。だから、優れたテレビドラマや映画が製作できないのである。特に、お笑いタレントが、「キャラが濃くない」のは本当は致命的なことなのである。最近のお笑いタレントは、「天然のキャラ」ではなく、「作った笑い」で人を笑わそうとするから、全然面白くないのだと思う。最後に、私が書く文章も濃い。つい、自分が関心を持ってる「社会的な問題」について書く時には、万感の思いで綴るために、「アツクルシイ文体」「押しつけがましい文体」になってしまう。文章を書く「プロ」であれば、そんな野暮なことはしないだろうが。いづれにしても「濃い私」は、損をしている。あらゆる面で「濃い人」の方が面白いと思う。