孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

自分が置かれている状況に気付いていない人間のおかしさと強さ 私もそのように他人から指摘されるが これからも変えずに生きていこうと思う

自分が置かれている状況に気付いていない人間は、ともすれば否定的に扱われがちである。特に日本人は、同調圧力が強いので、「自分の分際」をわきまえることが美徳とされる。しかし、私は、むしろ「自分が置かれている状況に気付いていない人間」の方が面白く、味わい深いのではないかと思えてならない。人間は、勝手に限界を決めて、自らの可能性を奪ってしまっていることが多いのではないだろうか。何かを成し遂げる人間の中には、遅咲きの人が少なからずいる。彼らは、才能があるのだが、世間が認めてくれなくて、歳を取るにつれて、実力を発揮し始める。逆に、早熟の天才と呼ばれ世間から脚光を浴びたが、いつの間にか世間からその名が消えていることも非常に多い。特に勝負の世界にそうした人間を見受ける。私自身、「自分の置かれている状況に気付いていない」ような趣旨の事を家族や他人から指摘される。家族は、「自分の子供」の事を何でも知り尽くしたように、振舞うことは、どこの家庭にもあることである。親といえども「我が子の可能性」を予見できるとは到底思えない。たいていの親は、自分の子供に安定した職業に就いてもらいたいと考えている。そもそも、この思考自体間違っていて、時代錯誤も甚だしい。私が住んでいる地域では、県庁、市役所、銀行に勤めている人間は信用できるという保守的な固定観念がいまだに強い。私からすれば、県庁、氏役者、銀行に勤めている人間ほど、魅力がないものはない。一生安泰であるという安全牌を選ぶことよりも、「不安定」で「リスキー」な仕事であるが「一生を賭けるに価する」道を選ぶ人間の方がよほど魅力的ではないだろうか。子供が将来に「なりたい職業」が発表された。腹が立つことに、男の子は、「警察官」が第1位であった。これについては、また別の機会に論じたい。異常な病理を孕んだ大問題であるからだ。先行き不透明な時代に安定した職業に就いてもらいたい親心は分かるが、何だか味気ない気がする。私は、真面目なのだが、どこか空回りして他人から誤解されてしまう。ただ、他人には絶対譲ることができない確固たる意志を持ち続けて生きてきたつもりだ。たとえ、他人にとやかく言われても、全く恥じる気持ちなどない。私は、これからも「自分が置かれている状況に気付いていない人間」と言われても、変えずに生きていこうと思う。