孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

景井ひな Tik Tok フォロワー1000万の「インフルエンサー」 「自分ガチャ」などと「人生哲学」を語るが 非常に「底が浅い」

NHKで放送されている20minという番組を見る時がるが、大体腹が立って、途中でチャンネルを変えてしまう。昨日は、今までの回の中で最も不愉快な気分にさせられた。若い女が、「人生哲学」を語っているのだが、聞いていて「こいつ、何を言っているのかと」テレビの画面を蹴り倒したい衝動に駆られた。その女の名前を景井ひなという。24歳で、Tik Tokのフォロワーが、1000万人もいるという「インフルエンサー」。私は、そういうのに全く関心がないが、若い女は、どうしてそのようなものに憧れるのだろうか。景井ひなは、「自分の人生の直線」を書き、今が最高頂であると強調していた。子供の頃は、いじめに遭い暗かったという。私がひかっかたのは、景井ひなが「自分ガチャ」という言葉を使っていたことだ。「自分ガチャ」とは、一体どういう意味なのだろうか。「親ガチャ」に端を発して、今や何にでも「ガチャ」を付ける傾向がある。それは、「自分の実力」ではどうしようもないことによって、人生が決定されてしまうという「現代社会の理不尽さ」を象徴していると思う。しかし、「自分ガチャ」は、全く意味不明である。景井ひなの言い方だと、「自分にも運気がある時と、全く何をやっても上手く行かない時がある」「自分は、あらかじ選ばれし人間である」というような「稚拙な自己万能感」のようなものを感じてならない。私は、景井ひなが「自らの人生観」を語る姿を見て、「何の壮絶な経験をしていない人間が人生観を語ること」の馬鹿馬鹿しさを痛感した。言葉がうわすべりしていて、説得力がないのである。もっと言えば、「お前にそんなことを語る資格がない」ということだ。最近は、芸能人でなくても、SNSで「ちょっとした有名人」になるチャンスがある。様々な社会問題を専門家任せでなく、「一般人が意見を言う」という意味では良い。しかし、「ファッションセンスが良いと思い込む」「見た目が可愛いと勘違いする」そうした手合いが、若い女たちに支持されるのは、本当に馬鹿げている。景井ひなのような「勘違い人間」が今後ますます増加してくると思うと、あまりにも絶望的だ。