孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

DJ SOⅮA 「男を挑発させる服装をしていたから レイプされたことは自己責任とすることは許されない」というのは 「論理のすり替えに過ぎない」 あの「服装」は「一線を越えている」 どうして「フェミニズム」は「社会通念」を無視して「ヒステリック」に騒ぎ立てるのか?

DJ SOⅮAが、大阪の音楽イベントで、胸を触られたという「性被害」を訴えたことが話題になっている。

 

大阪府警に男が、出頭した。

 

それにしても、この男たちは、正直な人間である。

 

男を挑発させる「服装」をしていて、レイプされたという喩え話を引き合いに、「自己責任論」で、被害女性に落ち度があったとすることは、許されないということを主張する者がいる。

 

これは、完全な「論理のすり替え」でしかない。

 

今回の場合は、性的乱暴もされていない。

 

今の世の中は、「フェミニズム」が跋扈して、「女性の人権」が異常なまでに擁護される時代になった。

 

私は、「フェミニズム」自体を否定するのではない。

 

平塚らいちょうから始まって、市川房枝さんたちが、「虐げられた女性の人権」を守る活動をしてきたその血の滲む活動は日本の歴史の誇りでもある。

 

しかし、上野千鶴子あたりから、「フェミニズム」が、「女性の自立」と「女性のわがまま」をはき違えてきた。

 

現代の「フェミニスト」は、関西弁で「いちゃもん」を付ける手合いにしか過ぎない。

 

DJ SOⅮAの「服装」は、社会通念上「一線を越えた」ものである。