孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

たぬかな 「身長170cm以下の男性に人権はない」に続く「努力しないデブ」発言 そもそも「弱者男性合コン」を開く事態「男性の人権」を侵害している 「イマドキ女子」の本音でもある

たぬかなが、「弱者男性合コン」を主宰して、その選考過程で、「太った男性」が多い事に対して、「努力しないデブ」という趣旨の発言をして話題になっている。たぬかなは、「身長170cm以下の男性に人権はない」発言して炎上した。おそらく、今回も確信犯的に「挑発的な事」を発言したのだろう。確かに、「恋愛弱者男性」の特徴の一つに、「デブ」が挙げられる。「オタク」で「デブ」で、身なりが汚いというステレオタイプ的な「モテない男」というのは、女子が考えているより案外少ないのではないだろうか。むしろ、「ルックス」は、「標準」なのに、何故かしら「モテない」という男の方が多いような気がしてならない。「太った男」より「太った女」の方が圧倒的に多い。私の「生活圏」を見ても、「太った女」があまりにも多い。「スーパーの店員」や「コンビニの店員」にもいる。街を歩いていても、頻繁に見かける。彼女たちは、「自分の容姿」を恥じる素振りが全くない。昔であれば、女が、「太っていたら」、コンプレックスを持って、負い目を感じるのが当たり前であった。それどころか、厚かましいうえに、「恋愛弱者男性」を他の女と「嘲笑」する手合いが多いのが現実である。女は、「デブ専」という「需要」があって、「太っていても」、堂々と生きて生きる仕組みになっているようだ。私からすれば、「ダイエットをしろよ。デブ」と言いたくなる。このような男女の「非対称性」が生まれたのは、女が男の「顔」を商品化し始めたからだ。1980年の「バブル景気」の頃から、そうした風潮が始まって今や「見た目がすべて」という世の中になり果ててしまった。「ブス」のくせに、男の「顔を品定めする」女があまりにも多い。「自分の顔を鏡で見ろ」と言いたくなるが、どれだけ言っても「審美眼が狂っている」ので通用しないだろう。私は、身長「170cm」以上あって、毎晩「ランニング」を続けている。何故、男がそれほどしなくてはいけないのか。「男は、外見の美」を求められが、「女はブスでも恋愛ができる」という「男女の非対称性」こそ問題だと私は考えている。たぬかなの発言は、「イマドキ女子の本音」を代弁しているように思えてならない。