孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

免田事件 わが国初の「死刑再審」無罪 34年間刑務所で 「自由」を奪われ 「死刑執行」の恐怖と共に暮らす 免田栄さんは「警察官」が悪事を働いていることを知ったために 「強盗殺人」と言う濡れ衣を着せられた 警察組織は75年経っても全く変わらない!

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袴田事件」の再審公判が今日は開かれた。おそらく、「袴田事件」は、「再審無罪」となるだろう。ここ最近の「袴田事件」の情緒的な報道は目に余る。事件発生当時に警察のリークを垂れ流したのは、メディアである。その過ちを顧みることなく、「袴田事件」が無罪になる可能性が出てくると、手のひらを返した報道をする。およそジャーナリズムに身を置く者として許し難き振る舞いだ。わが国で初めて「死刑再審」で無罪となったのが免田事件である。免田事件は、熊本県人吉市で昭和23年12月29日の深夜に祈祷師一家5人が殺傷された事件。犯人として警察から目を付けられたのが、免田栄さん当時23歳。免田栄さんは、翌年の昭和24年友人宅で話し込んできた時に、警察官5人に取り囲まれて、極寒の中人吉警察署に連行される。そして警察たちから凄まじい暴行を受けて、「虚偽の自白」をしてしまう。免田栄さんにとって、その時の警察官たちから受けた拷問による「心の痕」は生涯消えぬものとなった。免田栄さんは、品行方正ではなかったが、「強盗殺人」をするような人間ではなかった。しかし、警察官が「売春」をやっている事実を知ったために、「祈祷師一家殺傷事件の犯人」にでっちあげられたのである。免田栄さんは、この刑事を実名で「益田刑事」と言っている。益田刑事と「売春のあっせんをしていた未亡人」がこの事件に大きくか関わってくる。この未亡人の娘が、特殊飲食店で働いていて、免田栄さんがその店に宿泊したという「アリバイ」が後の「再審公判」の最大の焦点となった。特殊飲食店とは、今で言う「風俗店」のようなものだ。免田栄さんが、29日に「特殊飲食店」に宿泊した。それとも30日に宿泊したか。29日に宿泊すれば、「アリバイ成立」。30日に宿泊すれば、「アリバイ不成立」。この時に免田栄さんの接客をしたのが「益田刑事」と「売春のあっせんをしていた未亡人」の娘であった。そのため、最初は、「嘘」を言う。後に免田栄さんの「アリバイ」を主張するようになった。他にも犯行に使用された「凶器」が紛失するなどあまりにも不可解なことが裁判で起きる。また「犯行後の逃走経路」の不自然さなど、免田栄さんが「無実」であることを証明する証拠が数多くあった。昭和58年7月15日の「再審無罪」判決を言い渡した河上元康裁判長は、「古色蒼然たる物的証拠が30数年後の事実認定に指針を与えてくれる」と判決文に書いた。また河上元康裁判長は、判決文に次ぎのように書く、

 

「請求人は強靭な精神力を持って幸いにして34年間にわたる獄中生活に耐えぬいてきたのであるが、逮捕された時点で満23歳の青年であった請求人も、身柄が釈放された時にはすでに頭髪に白いものがまじる満57歳に達しており、春秋に富むべき青年期や、充実するべき壮年期を無実の罪で獄中で過ごし、いわば人生の大半を失ったと言っても過言ではない」と。

 

これほど、免田栄さんの「苦悩」をおもんばかった判決文はないだろう。

 

河上元康裁判長は、「人として優れた」人間である。

 

免田事件を風化させない運動をしているのが「元熊本日日新聞」の高峰武氏。

 

この方は、凄い「人格者」である。この方の事を書きたいが、時間がないのでまた別の機会に書く。

 

わが国初の「死刑再審」で無罪となった「免田事件」の教訓が全く生かされいない。

 

「警察組織」が同じように一般市民に対して日常的に「人権侵害」を行う限り、「冤罪」は根絶しないだろう。