孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

三遊亭圓歌 「パワハラ」 「バカ野郎 土下座せよ」 落語界にはもっと酷いいじめやパワハラが存在すると思う そもそも立川談志が「再審無罪」になった免田栄さんを「絶対やってないわけない」と発言した トンデモ人物がカリスマ化される世界

東京地裁三遊亭圓歌が弟子の井上雄策さんに対する「パワハラ」を認定して、80万円の賠償命令を命じた。東京地裁は「社会的に許容される範囲を逸脱」と指摘した。この「パワハラ問題」も松本人志の話題であまり芸能ニュースになっていないが、とんでもない事件である。私は落語が嫌いで、三遊亭圓歌の名前すら知らないが、ウキペディアには様々な書き込みがある。よほど、優れた落語家なのだろうか。「落語は人生の機微に通じる」などと言って、「落語が分からない人間は頭が悪い」などとほざく人がいるが、これほど暴論はないだろう。ラジオなどで「落語」が放送される時があるが、聞きかけて、辛気臭くなって、途中で聞くのを止めてしまう。はっきり言って、「落語など面白くないのだ」。落語の世界ほど、「パワハラ」「兄弟弟子の間でのいじめ」が横行する世界はないと思う。師弟関係が厳しく、師匠を「絶対不可侵の神様」のような崇める世界である。また「才能のある人間」は、すぐに売れていくので、嫉妬や妬みが凄まじいだろう。落語界の「カリスマ」と言えば、立川談志である。立川談志は「天才」と呼ばれた。爆笑問題太田光の才能を買っていたのも立川談志である。立川談志は、落語家の域を超えて、「文化人」でもあった。立川談志が言うことは「正論」と見做すコンセンサスのようなものが「芸能界」にあったように私は思えてならない。さほど、「卓越した見解」を主張している訳でもないのに、立川談志が「あああいえば、それは間違っていない」と断定するのは非常に危険な事だ。立川談志は、ある差別発言をしている。それは、昭和58年にわが国で初めて「死刑再審無罪」となった免田事件の免田栄さんのことを「絶対やっていないわけはない」と決めつけた発言をしたのだ。免田栄さんは、警察官の「売春」を知って、「真犯人にでっちあげられた」。免田栄さんは、獄中34年も「冤罪」と闘った人である。「免田事件」の免田栄さんは、「真白な無罪」つまり「無実」である。そうした人を犯人呼ばわりするのが立川談志だ。松本人志を擁護する立川志らくといい。碌な奴がいない。「落語の世界」はパワハラ、いじめだらけだ。