わが国で死刑を求刑されて再審無罪となった「島田事件」の元被告人の赤堀政夫さんが亡くなられた。
島田事件は、昭和29年に幼稚園児が殺害されて、知的障害のあった赤堀政夫さんが静岡県警に逮捕された。
赤堀政夫さんは、犯行を否認したが、再審無罪を勝ち取るまで34年もの獄中生活を強いられた。
警察組織は、知的障害のある赤堀政夫さんを予断と偏見で犯人にでっち上げた。
島田事件の裁判における証拠構造について言及すると、赤堀政夫さんを犯人と断定するにはあまりにも脆弱なものばかりであった。
例えば、赤堀政夫さんを犯行当日に目撃した証人たちの供述は不自然な点が多すぎた。
また、ホームレスをして、各地を放浪していた赤堀政夫さんが犯行当日に島田市に戻って被害者を殺害することは不可能であった。
このように、赤堀政夫さんの「無実」を証明する証拠を挙げれば枚挙に暇がない。
警察組織は、知的障害のあった赤堀政夫さんを予断と偏見で犯人にでっち上げたのだ。
島田事件の弁護人であった鈴木信雄氏の娘さんの大野萌子さんは、赤堀政夫さんを支えて、再審無罪となった後も一緒に暮らし世話をした。
大野萌子さんのような人格者はもう現代の日本には表れないだろう。
赤堀政夫さんの冥福を祈るばかりだ。