孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

70歳男 昔の彼女に 50年ぶりに会いたくなった いい歳をして 「幻想」を抱く 男は「過去」に固執する 女は「未来」に前向きである

 新聞の「人生相談」に、70歳の男が大学生時代に付き合っていた彼女に50年ぶりに会いたくなった。どうしたら良いのかという趣旨の質問があった。そもそも、ラジオの人生相談にしろ、新聞の人生相談にしても、「やらせ」の場合が大半である。ただ、誰もが悩むであろう「最大公約数的なもの」を敢えて「相談内容」にするのではないだろうか。この質問に答えていたのは、漫画家の柴門ふみ柴門ふみの夫は、「課長島耕作」を描いた弘兼憲史である。柴門ふみは、この質問に上手く答えていた。「美しい想い出」を大事にするべきで、会わない方が良いという非常に的を射た答えである。70歳という「古希」になって、昔の彼女に会いたいというのは、おかしいようである。しかし、世の中の多くの男は、多かれ少なかれ同じような「幻想」を抱いていると私は考えている。特に、現代の70歳以上の男の大学進学率は、ごくわずかであった。とりわけ、「団塊の世代」や「しらけ世代」と呼ばれる年代。私の親が、その世代に該当するが。この年齢の人たちは、非常に「大学生活」をエンジョイした。学園闘争に始まって、フォークソング神田川」に象徴する「同棲生活」。この人たちの若き頃は、「青春」という陳腐な言葉が最も似合うのである。「学園紛争」にしても、「思想」を論じて、内ゲバが起こった。その原因が、「男女関係の問題」であったりするのである。どういうことかと言うと、「同じセクト内」で「ひとりの女」を取り合うなど、生々しい男女の醜悪な姿がそこにあった。「総括」などと、きれいごとを言う人をおよそ信じられない。この「人生相談」だけでなく、男は、「過去」に固執する。それに比して女は、「未来」に向けて生きるものだ。「50年ぶりの彼女」は、見る影もない「おばあさん」になっていても、男は、幻滅しない。無理矢理に理屈をつけて、妙に自分を納得するのである。女の方はどうか。最初から、「昔の男」の事など頭の片隅にもない。私は、「昔の男」をいつまでも忘れない「古風な女」が好きだ。