孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

警察官2名が 「暴力団組長」を守るために 「罪」のない青年を目撃したという「偽証」によって犯人にでっちあげた「浅草4号事件」「冤罪」は私たちの「日常の隣りあわせ」にあって「警察官」はいざとなれば組織をあげて「薄汚い事を何でもする」

1997年5月7日午後11時45分ころ台東区千束の言問通りで、警邏中の浅草警察署のパトカー「浅草4号」が、不審な「グロリア」を発見した。「グロリア」に停止するように忠告したが、赤信号を無視して走行し続けた。御徒町駅近くの路上で、一旦「グロリア」は停車した。警察官2名が、職務質問をしようとしたが、再び「グロリア」は逃走した。翌日の5月8日に「グロリア」が私有地に乗り捨てられた状態で発見された。乗り捨てられた「グロリア」の中には、「登録事項証明書」があって、「所有者」を特定できた。この「所有者の名義」が、この事件で「犯人にでっち上げられた青年の名」となっていた。しかし、実際に「パトカーとカーチェイスを繰り広げた」のは、「暴力団組長」であった。この青年は、「暴力団組長」に「グロリア」を貸していた。事件が発生した5月7日の「暴力団組長」から電話があって、「パトカーとかーチェイスになって事故起こしてしまった。車の盗難届を出してくてないか」と頼まれた。この青年は、「暴力団組長」から「構成員」になるように言われて逃げ回っていた。今回も、自分が「組長の身代わりにされてしまう」と思い、玉川署に出頭して、「自分は、犯人ではない」と訴えた。しかし、緊急逮捕されて、身柄は、浅草署に移送された。「グロリア」を追跡した警察官が、「単独面割」をして、この青年が犯人であると断定した。この事件の弁護を受任したのが、今村核弁護士だ。今村核氏は、「刑事弁護」の世界では、知る人ぞ知る存在である。しかし昨年59歳という若さで亡くなった。今村核氏は、どのようにして「この事件において、青年は犯人ではない」と証明していったか。まず、「グロリア」の車内には、青年の「指紋」が一切検出されなかった点。そして「車内遺留品」の中にあった「コンビニのおにぎ」だ。「コンビニのおにぎり」の「製造年月日」と「製造工場」記載されていた。そこから、配布される「地域の範囲」「おにぎりが廃棄される時間」を計算して、この青年の「アリバイ」を立証した。まさに、「推理小説のアリバイ」を崩すような、「ドラマチックなもの」だ。また「グロリア」の車内から、「暴力団組長」の娘名義のカードで支払われた「高速道路の領収書」が発見された。これらのことから、日常的に「グロリア」を使用していたのは、「暴力団組長」である子は紛れもない事実となった。そして、極めつけは、警察官2名が「職務質問」をした際の青年を目撃したというのは、真っ赤な噓であったことを今村核氏は、「科学的に」証明したことだ。事件現場で午後11時すぎに、本件と「同車両のフロントガラス以外に黒色フイルム」を貼って、「運転手の顔」が見えるかどうか実験した。その時に、「黒色フイルムの可視光線透過率が、25%のもの」を使用した。本件車両の黒色フイルムの「可視光専透過率が、15%と25%の中間のものだったからである。その結果、「運転手の顔」を全く識別できなかった。また、「警察の実況見分調書」に記載された「使用車両ハンドル付近」の数値は、437ルクス。ルクスは、光の明るさを表す数値である。しかし、弁護団が測定した数値は、「4,2ルクス」であった。437ルクスという数値は、真昼の明るさだという。「警察官2名」が偽証していたのは明白だ。警察官2名は、何故偽証しなけばならなかったか。おそらく、「浅草署の幹部」と「この暴力団組長」が親密な付き合いをしていたのだろう。「冤罪」というものは、「大弁護団」が結成されて、何十年も争っているとをイメージしがちである。しかし、私たちの「日常の隣りあわせ」にある。「警察組織」というものは、いざとなれば「私たちの人権」を平気で蹂躙する。そうしたことを知らずに「警察24時」を見て、「警察組織」が国民の安寧秩序を維持する「正義の実行機関」と認識している能天気な「良識的市民」の方々の「能天気さ」には辟易する。世間が注目しない「冤罪事件」に人生を賭けた今村核弁護士の「早すぎる死」は、あまりにも無念だ。