孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

私は必殺仕置人になれず 人間のゴミに「酷い仕打ちを受けて死んでいく依頼人」の立場か? それとも「仕置人の一味」か? いずれにしても「法で処罰されない奴」を何とかしたいと思う

私は、必殺シリーズ好きを超えて、中学生の時に「必殺シリーズファンクラブ寅の会」に入会していた。このファンクラブは、もうとっくに解散してしまった。会長は、山田誠二という。私が、このファンクラブに入会したのは、1996年であり、終盤期であった。不定期に「冊子」が自宅に届き、非常にマニアックな内容のものであった。私が必殺シリーズに魅せられたのは、「普通の時代劇」と異なって、「反社会的」で「アナーキー」なドラマに衝撃を受けたからだ。特に必殺仕置人は、異常なまでの「暗いドラマであった。徹底的に悪人からいじめかれて、死んでいく依頼者に代わりに、「仕置人たち」が恨みを晴らす。後半のシリーズになると、「お笑いの要素」がメインになって一般の視聴者にも受け入れられるようになった。しかし、「必殺仕置人」は、ただ「殺す」のでななく、無念の裡に死んでいった「依頼人の恨み」を晴らすために、悪人を晒しものにするなどした。そうすると、今度は、「仕置人たち」が、「悪人」に見えてくるという事態が生じた。「番組スタッフ」は、そうした事態を懸念して、「ソフト路線」に変更した。藤田まこと演じる中村主水が、第1話で言い放ったセリフは、次のようなものであった。「向こうが悪なら、こっちはさらに上をいく悪にならなければ」と。どうも日本人は、「目には目を、歯に歯を」という「徹底的な復讐」が嫌いなようだ。「悪人を許してしまう」寛大さがあるのだろう。私などは、絶対に「悪人を許せない」という過激な思想を持つ。日本人離れして、西洋風なのだろう。私の人生を考えてみると、「俺は、必殺シリーズの世界では、恨みを残して無残に死んでいく依頼人」かもしれないと思うことがある。かと思えば、「いや、恨みを晴らす仕置人の一味になれるかもしれない」と妙な使命感に燃える時もある。いづれにしても、今の世の中は、本当に「汚い奴」がぬくぬくと「何の法的処罰」を受けずに、のうのうと生きている。この世に「必殺仕置人」が存在して欲しいと、願って止まない。